「人質司法」をご存じですか?
ぜひお読みください。 なぜ月が表紙に使われているのか、 人質司法でどれほど生が蝕まれるのか 月のエピソードが語っています。 |
警察や検察などの捜査当局や裁判所が、「そのような犯罪を私はやっていない」と罪を否認したり、黙秘している被疑者や被告人を、長期間拘留する(人質にする)ことで自白等を強要しうる日本の刑事司法制度は、「人質司法」として批判されています。
私も、否認すると延々と拘置所に留められて、社会生活を潰されかねないという事実は以前から聞いており(実際そのような被害に遭った同業者の大学教員も)、この人質司法は、えん罪の温床であり、日本の司法による人権蹂躙だと思ってはいました。
しかし、人質司法による人権侵害は想像以上の酷さであることを、先日、角川歴彦さんが人質司法違憲訴訟を提訴した時の記者会見を拝見し、また今回、日本と世界に向けて、日本語と英語で同時発売された『人間の証明~拘留226日と私の生存権について』を読み、思い知りました。この人質司法の犠牲者になるのは、何も角川さんのように特捜がらみのような重大事件のみならず、痴漢や万引など日常的な犯罪の被疑者になってしまっても、同じ手法で犠牲になってしまうのです。自分の身に降りかかったら・・・と想像しながら読み進めました。(以下、引用文は綠色で示します。)
まず、驚いたのが、被疑者になったとたんに「囚人」扱いになる点です。
有罪が確定するまで無罪として扱われるはずの被疑者・被告人の人権は、日本では当然のように蹂躙されていることが、よくわかりました。
象徴的だなと思ったのは、起訴された角川さんに「これから囚人として扱う」と看守が言い渡したところ。逮捕された瞬間から、さんざん尊厳を踏みにじられる行為(ここでは紹介できないほどの酷い扱いです。原書をお読みください)を強要されてきた角川さんが「え?これまでとどう違うの?」と尋ねると、「何も変わりません」と看守。
起訴はされたが、私は罪が確定して刑罰を受けるために拘置所にいる既決囚ではない。(中略)つまりは完全に犯罪者扱いであり、そこには有罪が確定するまでは無罪として扱われるという刑事司法の基本「無罪推定の原則」はいっさい顧みられていない。(pp.38-39)
すなわち、逮捕された瞬間から、囚人と同様に拘禁され、身体的苦痛を強要され、ひとりの人間としての自由と尊厳を奪い取られて当然という状態が、「私は罪を犯していない」と訴える限り、何ヶ月も続くのです。
拘置所の「単独室」が描写されていましたが、部屋の奥にある洋式トイレには衝立がなく、廊下から丸見えで屈辱的です。また、その奥にある「窓」が異様です。
普通の窓は、室内から外の景色を眺めるために設けられる。いわば98%の自然光と空気を取り込むために工夫する。しかし、ここでは逆に外界と98%遮断するために取り付けられている。(中略)
なぜ本来の機能を持たない窓を設置しているかと言えば、「窓もない非人間的な空間だ」と外部から批判されないためである。人間的空間に見せながら、実は外界と遮断した非人間的な空間。すなわち拘置所の窓は一種のフェイクでありフィクションなのだ。(p.42)
この異様さは、医務室でも際立ちます。
何度も倒れ、拘置所では命をつなげるか覚束ない。何とかここを出られないものか。拘置所の医務室でそんな思いを漏らしたことがある。すると医者が冷ややかに告げた。
「角川さん、あなたは生きている間にはここから出られませんよ。死なないと出られないんです。生きて出られるかどうかは弁護士の腕次第ですよ」
隣にいる刑務官を見ると、無言でうなずいていた。(p.75)
ホラーです。
死を覚悟した角川さんと危機感を持った弁護団は、公判で不利になる様々な点に「同意」するという苦渋の選択をし、これまで却下され続けてきた保釈請求をなんとか通そうとします。
裁判所の決定を待っている時の角川さんの思いが書かれています。
彼ら<検察>はどうしても私を拘置所に閉じ込めておきたかった。体調がさらに悪化しようが、死に瀕しようが、意に介さない。なぜなら最終的に拘留を決めるのは裁判官であり、あくまで意見書を出しただけの検察官は責任を追及されない構図になっているからである。(p.80) < >は小橋による追記
非人間的と批判されないようにフェイクの「窓」を設置し、責任は裁判所だからと、死も意に介さず拘留を続けようとする検察という国家権力。
この検察という機関は、民間のブラック企業や、カルト集団ではなく、国家権力だというところが、この上なく恐ろしい。
公判で不利になる条件をのんでも保釈を選んだ角川さんは、この国家権力と人質司法違憲訴訟で闘う覚悟を決めました。
裁判では、人質司法の存在を資料や証言から明らかにしたうえで、人質司法が憲法で保障された基本的人権を侵害していることを立証していく。
さらに、国際法は、個人の自由権の一つとして「自白の強要からの自由」を保障している。人質司法が国連の自由権規約が禁じる「拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取り扱い」や「人間の尊厳に対する侵害」「恣意的な拘留」「無罪推定原則否定」などに違反することを争点に据える。
人質司法は刑事訴訟法の運用によって常態化してきたが、日本が批准した国際法規は国内法の上位に位置すると考えられている。国際法規に抵触する法律や制度は改正、廃止されなければならないのだ。(p.116)
この人質司法違憲訴訟は、角川さんご自身も何度も言及しているとおり、角川さんにかけられた嫌疑で無罪を主張するためのものではなく、国際法的にも恥ずべき人質司法という人権侵害をなくすためのものです。
海外から「中世のなごり」と批判され、憂慮すらされる日本の司法制度を近代化して、自分と同じ犠牲者を生まないよう死力を尽くす。それは出版人としてメディアに生きた者の責務でもあり、生涯最後の仕事として取り組むに値する。(p.125)
最後に、私が最も怖いと思ったこと。
日本という国は、実のところあらゆる点で、「フェイクの窓」が取り付けられているのではないかということ。なんとなく光が差し込んでいるので窓があるつもりだけれども、開けようと思って近づいて初めて、フェイクだ!開かない!みんな気がついてない!と気付くような、そんな恐ろしさ。
ひとつでもほんものの窓を得るための、人質司法違憲訴訟となることを願って、注目していこうと思います。
= 引用文献 =
『人間の証明 拘留226日と私の生存権について』角川歴彦著 リトルモア 2024年刊
https://littlemore.co.jp/isbn9784898155882
= 関連サイト =
【記者会見動画】「残りの人生をこの裁判に懸けたい」
KADOKAWAの角川歴彦元会長が人質司法で国を提訴
2024年06月27日公開
https://www.videonews.com/press-club/20240627-kadokawa
■角川歴彦さんが提訴した人質司法違憲訴訟の意義
2024年6月27日
https://newspicks.com/topics/criminaljustice/posts/37
まさに、ひとどとじゃない事例が示された、よくわかるサイトです。
↓
■ひとごとじゃないよ「人質司法」
https://innocenceprojectjapan.org/about-hostagejustice
角川さんの事件とは直接関係ありませんが、
人質司法が引き起こしたえん罪事件で取り調べた検事が審判されることに。
少し司法も変わりつつあることを願います。
↓
■大阪高裁付審判決定、東京の特捜検察にも大きな “衝撃”
「検事取調べ検証」は不可欠 2024年8月13日
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/38a7576ac17a05fd9e675544aa0b5199af919216