2010/06/05
神戸大空襲
65年前の6月5日、神戸の灘区から東灘区にかけての一帯と須磨区がB29による大空襲を受けました。死者3453人。今日はその戦没者の追善法要が行われた春日野道のお寺、聖徳院さまのお招きで、法要の前の講話をさせていただきました。
65年の月日が過ぎたとは言え、空襲で家族を亡くされた方の前で、この私がどんな話ができるのかと恐縮しましたが、「花と爆弾」の活動で出会った太平洋戦争で戦渦に巻き込まれた方々から教えてもらったこと、そしてイラクやアフガニスタンの子どもたちを支援することから知った人々の平和への思い、ベトナム戦争帰還兵アレン・ネルソンさんの加害者側の苦悩と無念など、戦争が現在も人々を苦しめていることをお話させてもらいました。そして今の日本がどれほど、アメリカの対テロ戦争に加担しているのかを少し説明させていただき、これ以上の加担をとめるためには、一人一人が戦争反対の思いを強く持つことが大切ではないか、そのためには戦争を体験した人々が若者たちに体験と思いを伝えていくことが大切ではないかとの思いを述べました。そしてお集まりの皆様にも、できるだけ身近な若者にご自身の体験と思いを語っていただけるようお願いしました。
講話の後、話を聞いてくださった方の60代の男性が、ご自身の戦争への思いということで、生前お会いになったこともない叔父様の話をしてくださいました。叔父様は結婚もされずに戦地へ赴き戦死されたそうです。結婚をされていなかったということで、国から支払われた遺族年金(賠償金?)は全額で4万円。それも毎月3千円が国債で支払われ、その方のお父様(戦死された方の兄)が毎月郵便局に換金に行かれて、受け取られたそうです。
「人の命が、4万円って!」その方は何回もそう言って、絶句されていらっしゃいました。
お父様は毎月その年金を受け取られるごとに、やりきれなさそうに酒を飲み、饅頭を仏壇にお供えされたそうです。
私の祖父の弟、すなわち私の大叔父も17歳で志願兵となり、戦死しました。結婚もしておらず、その方のお父様と同じように、祖父が年金を受け取りに行っていたことを思い出しました。
そしてやはり、やりきれなさに落ち込んでいた祖父の横顔を思い浮かべました。
65年たっても、亡くなった方々の無念も、そして残された者の悲しみも消えるわけではないことを、追善法要に参加させてもらって、改めて実感しました。何十年経とうが消えることのない、世代を越えて引き継がれていく心の痛み・・・。
こんな悲しいことはもうこれで終わりにしたい。もう二度と日本の若者が戦地に送られることのないように、二度と空襲で罪も無い人々の命が奪われないように、そして今世界中で戦地に送られている若者たちが一日も早く故郷に帰れるように、世界中の人々が空爆に恐れる日々がなくなるように、小さな声でもあげ続けていこうと心に誓いました。
このような貴重な機会を与えてくださった聖徳院さま、またお声をかけていただいた一言寺のご住職に心より感謝いたしております。
65年前の6月5日、神戸の灘区から東灘区にかけての一帯と須磨区がB29による大空襲を受けました。死者3453人。今日はその戦没者の追善法要が行われた春日野道のお寺、聖徳院さまのお招きで、法要の前の講話をさせていただきました。
65年の月日が過ぎたとは言え、空襲で家族を亡くされた方の前で、この私がどんな話ができるのかと恐縮しましたが、「花と爆弾」の活動で出会った太平洋戦争で戦渦に巻き込まれた方々から教えてもらったこと、そしてイラクやアフガニスタンの子どもたちを支援することから知った人々の平和への思い、ベトナム戦争帰還兵アレン・ネルソンさんの加害者側の苦悩と無念など、戦争が現在も人々を苦しめていることをお話させてもらいました。そして今の日本がどれほど、アメリカの対テロ戦争に加担しているのかを少し説明させていただき、これ以上の加担をとめるためには、一人一人が戦争反対の思いを強く持つことが大切ではないか、そのためには戦争を体験した人々が若者たちに体験と思いを伝えていくことが大切ではないかとの思いを述べました。そしてお集まりの皆様にも、できるだけ身近な若者にご自身の体験と思いを語っていただけるようお願いしました。
講話の後、話を聞いてくださった方の60代の男性が、ご自身の戦争への思いということで、生前お会いになったこともない叔父様の話をしてくださいました。叔父様は結婚もされずに戦地へ赴き戦死されたそうです。結婚をされていなかったということで、国から支払われた遺族年金(賠償金?)は全額で4万円。それも毎月3千円が国債で支払われ、その方のお父様(戦死された方の兄)が毎月郵便局に換金に行かれて、受け取られたそうです。
「人の命が、4万円って!」その方は何回もそう言って、絶句されていらっしゃいました。
お父様は毎月その年金を受け取られるごとに、やりきれなさそうに酒を飲み、饅頭を仏壇にお供えされたそうです。
私の祖父の弟、すなわち私の大叔父も17歳で志願兵となり、戦死しました。結婚もしておらず、その方のお父様と同じように、祖父が年金を受け取りに行っていたことを思い出しました。
そしてやはり、やりきれなさに落ち込んでいた祖父の横顔を思い浮かべました。
65年たっても、亡くなった方々の無念も、そして残された者の悲しみも消えるわけではないことを、追善法要に参加させてもらって、改めて実感しました。何十年経とうが消えることのない、世代を越えて引き継がれていく心の痛み・・・。
こんな悲しいことはもうこれで終わりにしたい。もう二度と日本の若者が戦地に送られることのないように、二度と空襲で罪も無い人々の命が奪われないように、そして今世界中で戦地に送られている若者たちが一日も早く故郷に帰れるように、世界中の人々が空爆に恐れる日々がなくなるように、小さな声でもあげ続けていこうと心に誓いました。
このような貴重な機会を与えてくださった聖徳院さま、またお声をかけていただいた一言寺のご住職に心より感謝いたしております。