2014/03/25
この10年のすべてに感謝をこめて
10年前の2004年3月25日、『花と爆弾ーもう、戦争の暴力はやめようよ』と題された、私の拙い短歌と詩と鉛筆画が収められた小さな本の初版が千冊届きました。思えば、妹が一番最初に2冊買ってくれたのが、この10年間にわたるチャリティ活動の始まりでした。
2001年の同時多発テロを発端に、アフガニスタン報復攻撃、イラク戦争と世界がどんどん暴力で物事を解決しようとひた走り出した頃、理不尽極まりない戦争で命を落とす子どもたちのために、何かしなければならないと、居ても立ってもいられないような心境で、始めたこの小さなチャリティ活動。
多くの方のご厚意に支えられて、小さいながらも毎年、アフガニスタンとイラクの子どもたちのために活動するNGOや団体に寄付を続けることができました。アフガニスタンでは、ペシャワール会の中村哲医師らの奮闘により建設された水路が、乾いた大地を緑の農村に変え、宝塚・アフガニスタン友好協会の西垣敬子さんの粘り強い努力で、念願だったナンガハル大学の女子寮が建設され、またイラクでは、日本イラク医療ネットワーク(JIM-NET)の佐藤真紀さんらが、イラクの白血病や小児ガンの子どもたちを長年にわたって支援されています。上記だけではなくほかにも素晴らしい活動をされるNGOや個人の方々を通して、また『花と爆弾』に寄せられた多くの皆さんのご支援で、少しでも戦禍の子どもたちのために動けたことを、心から感謝しております。
2011年からは、東京電力福島第一原発事故を受け、福島の子どもたちのために活動する団体や個人の方々の支援も始めました。まさか日本の子どもたちの命と健康を危ぶむ事態が来るとは10年前には想像もしておりませんでした。しかし、放射性物質を体の内部に取り込んでしまうことの危険性を私に教えてくれたのは、イラクの子どもたち。幼くして天国に旅立ってしまった子どもたちが、命がけで教えてくれたことを決して忘れず、日本の子どもたちを守っていくことが、これからの私がやらなければならないことだと強く感じています。
この10年で、アフガニスタンはイラクはどうなったのかと聞かれると、状況はますます混迷を深めているとしか言えません。アフガニスタンは10年前は陸路で(自動車で)移動可能だったそうですが、今は危険で空路で移動するしかないと聞きます。また、イラクでも今でも爆破事件などが起こり、またバグダッドの西方になるアンバール県では、現在イラクの治安部隊がアルカイダ系テロ組織の鎮圧に乗り出し、一般市民にも多数の犠牲が出ているそうです。隣国シリアでの内戦も多くの犠牲者を出し続け、この地域全体の未来に、大きな影響を与えることになるかもしれません。
そして日本を覆う原発事故の影。今現在も毎日何億ベクレルも放出されつづけている放射性物質が、この国の未来にどのように影響してくるのかと思うと、自分の無力さに打ちひしがれてしまいそうになります。
それでも、できることをしなければなりません。
この10年、アフガニスタンやイラクの子どもたちと、その子どもたちを守ろうとする多くの大人たちと出会えたことで、言葉にはならないようなたくさんの大切なことを学びました。世の中がどんなに酷くなろうとも、時代がどんなに悪くなろうとも、ひとりひとりは懸命に生きて、輝くことができる。
だから、できることをするのです。
・曇りのち時々爆弾降る町に 児らは光をすくって遊ぶ
『花と爆弾ーもう、戦争の暴力はやめようよ』より
この10年のすべてに感謝をこめて。
2014年3月25日 小橋かおる
2014/03/21
All we need is LOVE
久しぶりのブログ更新です。たくさんのイベントがあって、どれを報告していいのか分からないぐらいですが、2月22日に開催された、さよなら原発神戸アクションの「放射能社会を生きる連続セミナー第4回愛の給食交流会」について、ご紹介させてもらいたいと思います。
実は私はこの連続セミナーの実行委員長?世話人?をさせてもらっているのですが、第4回は、給食問題。さよなら原発神戸アクションのメンバーの中にも、給食の放射性物質の測定のことで動いていらっしゃる方が多いので、給食を取り上げようかと実行委員会で話し合っていたところ、神戸でこの秋から導入される予定の中学校給食は、なんと業者委託のデリバリー弁当ということを知り、これは、放射能云々の前に、何かが違う!と皆で同意。聞くところによると、同じ兵庫県の宍粟市で素晴らしい給食が展開されているらしいとの情報を得、その給食について知りたい!との思いで、愛の給食交流会開催となりました。
当日、会場にお越しくださった宍粟市の栄養教諭の田路先生は一見普通の先生。しかしそこから語られたエピソードは、愛の一言に貫かれたものでした。
現在の宍粟市の学校給食は、野菜や肉、お米はもちろん地産地消で、地域の農家の方々と学校や児童たちが一緒になって作りだしているものなのですが、そればかりか、味噌やしょうゆといった調味料も地元の大豆を使って、給食の調理員の方たちが作ったもの。ゴマも自分たちで栽培していたり、また野菜の生産者の農家の「おじさん」が子どもたちと一緒に給食を食べていたりと、ほんとうに地域全体で子どもの食べるものを作る、子どもたちを育てている・・・ここまでやるか!??と思ったほど、すごかったです。
しかしながら、このすごい給食もある日突然できたわけではありません。田路先生もまだまだ20代の頃かな?、栄養教諭として給食にかかわりだしたころ、子供たちには温かい給食を食べてもらいたいのに、給食を持っていくよう指定されていた時間は、食べる1時間ぐらい前。「これではすっかり冷めてしまう・・・。なぜこんなに早く持って行かなくちゃいけないんだろう?」と思われ、小学校の用務員のおじさんに聞いてみると、なんでもひとりで作業をしなければならず、30分ほどかかってしまうとのこと。「それじゃあ、運搬作業を手伝います!」ということで、ふたりで作業をすると10分ほどに短縮できた!これで、子どもたちに温かい給食を食べてもらえる・・・。「温かいものを食べてもらいたい」この親が子に食べさせるときにはいつでも思う普通の気持ち・・・それが愛というものですよね・・・、それが給食のあり方を変える第一歩だったのです。
そこから始まった「子どもたちに温かくて、美味しくて、安全なものを食べてもらいたい」の気持ちが、顔が見える範囲での食材の調達へとどんどん広がり、今の宍粟市の給食となったのです。
それに引き換え、神戸市の中学校給食の導入は、経済面を考慮しただけで決めたと思われるデリバリー弁当。。。宍粟市と神戸市では人口が違うのだから・・との声も多く聞かれますが、神戸も北区や西区では地産地消の可能性もあるのに・・・。神戸市の給食担当の部署にも、愛を持った方がいらっしゃれば・・・。いえいえ、交流会の中で、田路先生に「やはり保護者の意見が行政を動かすには一番大切」とのアドバイスをいただきましたので、保護者の愛で、神戸市の給食をもっともっと子どもたちの健康のため、食育のためのものに変えていかなくては!と奮い立たされました。
【後記】
これまであまり給食のことを考えたことがなかったのですが、今回のセミナーを開催するにあたって、いろいろと話を聞きましたら、市町村でほんとうに様々な給食があるものです。私の記憶の中の給食は、アルミの食器でうす~~いカレーとかうす~~い牛乳に冷たい食パンとかですが、市によっては(関東ですが)、「ボーンチャイナの食器でフルコース」のようなところもあるのですね。給食がそこまで豪華でなくてもいいと思いますが、「美味しくて安全なものを」と奔走してくれる大人がたくさんいる地域で育ちたかったな~と今になって思いました。これからは、「奔走する大人」になりたいと思います♪
ちなみに、神戸市の学校給食の食材を調達している団体はこちら:
「公益財団法人 神戸市スポーツ教育協会」
平成24年学校給食事業と併せて、食育も担う組織として発足
http://www.kobe-spokyo.jp/schoollunch.html
3月の予定食材の産地一覧もありますが、日本ばかりでなく世界中から調達されています;_;
http://www.kobe-spokyo.jp/pdf/schoollunch_home_h2603_yotei.pdf
中学校の給食の方式で、デリバリー弁当がどうしても覆せないのなら、せめて入札の基準に「地産地消の割合の高さ」などを入れてほしいと思います。