2013/01/15
政治を取り戻すために:川田龍平参議院議員のお話を聞いて
14日、神戸のサラシャンティで開かれた川田龍平参議院議員トークショーに参加しました。川田氏は、薬害エイズの被害者として、東京HIV訴訟に実名を公表して原告に加わった方。今回、低線量被曝の健康への影響を国民に正しく知らせようとしない国の態度に、薬害エイズの時と同じ構造を感じ、超党派での「子ども・被災者支援法」の成立に尽力されたとのことでした。
私の記憶が正しければ、まだ20才前後だった川田氏と、薬害エイズ事件を防ぐことができなかった当時の厚生省担当官との対談番組がありました。確か1時間ほどの番組で、様々な検証シーンをおり混ぜ、なぜ薬害の広まりを止められなかったのか、今後このような事件を防ぐためにどうしようと思っているのかと、少年の川田氏が切々を問いかけていましたが、担当官はただ人事のように組織の論理を繰り返し、そしてこのような組織の在り方が続く限り「同じような事件が起こるだろう」との発言に、川田氏が絶望したようにうなだれているところで終わった番組でした。
被害者を前にしても、あれだけの無責任な態度が取れる「官僚」という組織に染まった人間の非情さに、私も怒りというよりも寒気を感じたのを覚えています。
その後、川田氏は経済を学び、07年に参議院議員に当選し、国会議員としての活動を続けていらっしゃるのですが、やはりその思いは「この国を変えなければならない」の一言に尽きると思います。彼はあの絶望の中から立ち上がり、そして今、自分と同じような子どもを、被害者を生み出さないように懸命に動いているのです。その誠実さと覚悟、また、国を動かす、法を作るという実利を得るために、どのように動けば効果的なのかということを常に考えている戦略的思考にも、とても感銘を受けました。
このブログを読んでくださっている方の中にも、「なぜ川田氏はみんなの党に入ったんだ」と思っていらっしゃる方も多いでしょう。2007年に無所属で議員になった後、やはり無所属では活動が限られていることを痛感し、2009年にみんなの党に入党されたのですが、ご自身は、みんなの党という後ろ盾がなければ、この「子ども・被災者支援法」の成立は難しかった。自分としては党の方針にすべて合意できるということではないが(特にTPP)、党に入って党を変えていくということもできる。おそらく自分が入って説得したことでみんなの党は脱原発の方針をとることになった、とおっしゃっていました。 中から変えていく・・・大変なことですが、その可能性をいつも考えて行動されていると感じました。
最後に、川田氏から受け取った強いメッセージをご紹介させていただきます。
政治が信じられないと言って避けていたら、どんどん政治は一握りの人たちだけのものになってしまう。
ひとりひとりが政治に関わっていく、
いろんな党の党員になるという形でもいいし、
地元に帰ってきた国会議員に会いに行くでもいいし、
議員の奥さんに話しかけていくでもいい(川田氏は国会議員は恐妻家が多いから奥さんからアプローチするといいということを何度もおっしゃいましたが^^)、
どんな形でもいいから、政治に関わっていく。そうしないとこの国は変らない。
一部の利益を共有する人々たちのための政治から、国民の命と暮らしを守る政治にするために、ひとりひとりが動いていく・・・その大切さと、川田氏の国政への覚悟をひしと感じた会でした。
お願い:「子ども・被災者支援法」を知ってください。
この原発事故被災者の方を国が広く支援するための法律ができたのは2012年の6月ですが、その基本方針はまだできていません。その具体的な内容は、今後政府や官僚がつめていくそうです。だからまだこの法律による支援対象地域なども決まっていないのです。ですから、官僚達に勝手に作らせず、被災者の意見を反映させるために、協力してほしいのです。
何をすればいいの? 川田氏からいただいたフライヤーよりご紹介します。
1 自治体職員、国会議員に要望を伝える(要望書はA4用紙1枚にまとめることが大切!)
2 周りの人にこの法律を広める
3 ブログ、ツイッター、FBで拡散する
4 地元マスコミにこの法律を知らせる
5 川田龍平を地元集会に呼ぶ
最新情報は「子ども・被災者支援法」ブログで得ることができます。
ご覧ください→http://blog.kodomoinochi.net/
この法律を、真に子どもと被災者の方たちのための法律とするために、あなたの力を分けてください。