2012/10/20

 

「樹を植えよ-核の危機を回避せよ」フンデルトヴァッサーのスピーチ(1980@アメリカ)



ご縁あって、1980年11月18日にオーストリアの画家・フンデルトヴァッサーがワシントンで、「樹を植えよ-核の危機を回避せよ」のポスターを寄贈したときに行ったスピーチに出会いました。

 今から30年以上も前の彼の言葉・・・それがもっと人々に伝わっていたら、今のような悲劇は回避できたかもしれない・・・。そして二度とこのような悲劇を繰り返さないために、ここにご紹介させていただきます。

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オーストリアは原子力発電所の稼働を国民の決定によって拒否しました。私たちは、この決定を確実なものとしなければなりません。なぜなら、国際的な原子力ロビーは、まるでマフィアのように、この決定を受け入れないよう働きかけているからです。彼らは何としてでもこの決定を覆そうと企てています。


アメリカは世界の模範です。アメリカのライフスタイルは世界中に浸透しました。不幸なことに、この「American Way of Life」は考えなしのエネルギー消費をも意味するのです。ですから、アメリカは罪の意識を持たなければなりません。他のすべての国々に新しい規範を示すことは、アメリカの義務なのです。


そして、この新しい規範こそ、核エネルギーなしで真の人類の発展を遂げることです。アインシュタイン曰く、「公式が美しくなければ、その公式は正しいはずはない」のです。合理主義者や、技術畑の官僚、機能主義者たちは、これとは正反対のことを唱えてきています。


100年前の最初の技術的な設備は、まだ非常に質素なものでした。 馬車の代わりとなった車、機械、エレベーター、電話、ガス灯、地下鉄や市電が地上に出てくる技術などは芸術作品であり、今では博物館に納められているものばかりです。当時の人々は、技術的な合理性というものは罪であるということを知っており、そのため芸術をその隠れ蓑としたのです。今日では、私たちは合理的な技術の勝利を目の当たりにしています。それは無であるにも関わらず。美的な空虚、単一的な砂漠、殺人的な精神の不毛、創造的な無能。


自然の法則と植生に則り、宇宙の循環と調和しながら生きる者だけが道に迷わないのです。
この法則に逆らうものは、傲慢によるものであろうと、隷属によるものであろうと破滅に加担しているのであり、自らも破滅するのです。


人間は、幸せであるために表面的な豊かさは必要ありません。必要なのは、内面的な精神の豊かさです。人間は、幸せであるために機械的なエネルギーは必要ありません。必要なのは、創造的なエネルギーです。


今日の人類は、これまで地球に存在していた中で最も危険な害虫です。人間は、生態系からかけ離れた害虫となってしまいました。地球の再生には、人間を生態系の柵の中に戻すような完璧なエコロジーが必要ではないでしょうか。


私たちはエネルギー危機に見舞われているわけではありません。あるのはただ、意味のないエネルギーの浪費だけです。人類が法外に、理由もなくエネルギーを消費する行為も、それなりの責任意識のある創造的な知性に相応しい行為だと言えればいいのでしょう。

しかし、現実はそうではありません。

人間は、馬鹿な動物の群れであり続け、突然精神の異常をきたしたかのようにエネルギーや毒やその他の殺人の道具を大量に手に入れ、それらを途方もなく浪費したり、あるいは環境の破壊や自分の兄弟たちを滅ぼすために容赦なく使ったりするのです。

そして、欲望に駆られながら、人間は―この馬鹿な動物の群れは―さらに多くのエネルギー、さらに多くの毒、そして、さらに多くの殺人の道具を手に入れようとするのです。

人類は、とりわけ所謂専門家たちは、エネルギー推進をもはやコントロールできなくなっています。彼らは、自分たちが一体何をしているのかが分らなくなってしまったのです。


原子力ゲームは危険なゲームです。
死をともなう軽率なゲームです。

どこかで想定を超える事故が起きることは確実なのです。ガラスやセメントやそれら覆いでできた核のゴミの密閉容器からは必ず放射能が漏れだします。ロシアン・ルーレットのようなものです。それは、私たちが思いもよらぬ瞬間に起こるのです。核のゴミを安全に隠したり保管したりする場所はありません。見た目では当面地震が起こらないとされる場所でさえ安全とは言えません。戦争や爆弾、ブルドーザー、地震や断層のずれが全てを無に帰するのです。この地球と宇宙に静止状態のものなどありません。すべてが流れているのです。


インカ帝国やカルタゴ王国の遺物がどこに埋められているか知っていますか?それは、たった2000年前のことなのです。祖母が金貨をどこに隠したか知っていますか?それはたった50年のことなのです。核のゴミは、50万年もの間、すべての生命を死の危険にさらし続けるのです。核のゴミを密閉した最初のコンテナは、20年前に海底や地中に埋められたばかりだというのに、すでに浸食され、放射性物質をまき散らしています。 そして、私たちはこのコンテナがどこに隠されたのか分らなくなってしまっています。

核のゴミは美しい遺体のように埋めてはなりません。核のゴミは土に還らないのです。 密閉された核のゴミの容器は、時限爆弾です。必ず爆発します。原子力発電所をひとつでも無くすことは、生存のチャンスをひとつ増やすことです。


政治家や学者が、短期的な利益やキャリアを考えて、私たちに核エネルギーは永遠に無害だと保証するとすれば、それは犯罪的な嘘です。

オーストリアは、核の力という権力に目がくらんだ一握りの学者の意見と関わらなくてもよくなりました。中央でエネルギーを統括すれば、人間にとって必要以上の自動化が進みます。結果は失業です。核エネルギーは経済の破滅です。失業や、常に死の危険と隣り合わせの生活、迫りくる汚染や人権の損失、ふるさとの喪失のほうが、1パーセントの危険なエネルギーよりも思いのです。こんなものは、自然と人類の破滅を導くような機械たちに電気供給するだけのものです。


核エネルギーは、見せかけのエネルギー危機に見せかけの解決を短期的に見出すだけです。
時間が経つにつれて、私たちは自分たちのしていることが如何に広範囲に危険を及ぼしているかを認識するでしょう。そして、前には見えなかった新しい問題が、ますます高いコスト、ますます危険な代償を要求することに気づくことになるでしょう。その範囲を認定するには、私たちの経験則はいまだ小さすぎるのです。


技術者や学者、専門家が私たちを、自分たちでも解決できないような予測不可能な危機へと導くならば、それは見逃してはならないことです。しかしながら、私たちは、自らが理解できない、生命を危険にさらすようなモノに依存するようになるのです。そして、それが私たちの破滅なのです。


残念です。私たちは、またしても戦時中であるかのように生きていかなければなりません。 人類は、慎重に、自分で考えなければなりません。慎ましく生きなければなりません。盲目的に浪費してはいけないのです。人間は、循環が機能するように心がけなければならないのです。



幸せであることは、豊かさとは全く関係ないことなのです。生産とは全く関係ないことなのです。



一本の木を倒すのに、5分とかかりません。しかし、一本の木が生長するのには50年かかります。これは、技術畑の官僚が破壊する行為と、生態系の構築の関係とだいたい同じです。技術畑の官僚たちの支離滅裂な行為は、癌細胞であり、生態的に解体するしかありません。

これは長い道のりですが、これしか方法はありません。

自然の法則に関する知識を伴った創造的な精神のみが、私たちが辿ってきた状況を生態的に克服することができるのです。工業的な発展の考えでは、とうてい無理です。いわゆる発展は、破滅への歩みとなってしまったからです。

生き延びるためには、手を引くしかないのです


翻訳:桂木 忍    

注: 太文字強調by小橋

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追記: 桂木 忍さんとは、「シェーナウの想い」を通して知り合いました。ドイツ語に堪能で、また核に反対されてきたフンデルトヴァッサー氏がデザインした大阪の舞州工場で、放射能に汚染されているかもしれない震災がれきが焼却される可能性があることを知り、フンデルトヴァッサー公益民間財団の協力も得られ、氏の「樹を植えよ-核の危機を回避せよ」の絵とこのスピーチを人々に知ってもらおうと活動されています。   このたびは、拙ブログへのスピーチ訳転載をご快諾いただいたことに、深く感謝しています。



2012/10/14

 

決して忘れません


昨日、DAYS JAPAN関西サポーターズクラブ主催の「原発作業員~だれが福島第一原発で働いているのか~ 対談 小川篤 × 小原一真」に参加しました。昨年12月から今年3月末まで福島第一原発で作業をされていた小川さんのお話をうかがうのは、4月、7月に続き3度目。7月には、警戒区域内のご自宅の映像も紹介してくださいましたが、話が原発収束作業のことだけでなく、ご自分の街としての福島に及ぶと、とてもおつらそうで、私も7月の会のことはブログで報告できないでいました。そして、今回も気丈に会場からの質問に答えられていた小川さんでしたが、「福島のことを忘れないでほしいという思いから、こうして関西にお招きいただけば、できるだけ福島のことが伝わるようにと話してきたけれども、話せば話すほど、むなしくなる」と胸中を吐露されました。



同じ体験をしていない人に、自分のつらい体験を話すことは本当に苦しいことです。それも現在進行中の事態について、誰もがどうしていいのかわからない状態で、不特定多数の方の前で話されるのは、目隠しでジャングルを歩いているような不安を感じるものだと思います。今回のトーク会のことも、ブログに書かせてもらうべきなのかどうなのかと悩みましたが、小川さんがそれほどまでの不安と苦しみの中、福島のためにお話をしてくれたという、小川さんの「福島を忘れてほしくない」という思いを、ひとりでも多くの方に知ってもらいたいと思い、こうして書かせてもらうことにしました。



福島第一原発の事故はまだ収束などしていません。会場でいただいた資料によると、今でも毎月3000人以上の方が作業に当たってくださっています。その作業員の7割が小川さんのような福島の方なのです。故郷を守りたい、故郷を取り戻したい、との思いで命を削るようにして働いていらっしゃる方たちなのです。



私はひと時たりとも福島のことを忘れたりはしません。忘れられるはずもありません。小川さんが福島を愛するように、私も福島もこの日本という列島も海も空も、そしてこの美しくも厳しい自然と共に生きてきた人々を愛しているのですから。私は福島を、そして福島の人々を子どもたちを、決して忘れません。小川さんが話してくださった言葉のひとつひとつをかみしめて、これからもできるだけのことをしていきます。



最後に、4月お聞きした福島第一原発の作業のようすをまとめたブログを再度ご紹介させていただきます。小川さんには、ほんとうに貴重なお話を聞かせていただいたことに深く感謝しています。

・福島第一原発元作業員小川さんのお話
http://flowersandbombs.blogspot.jp/2012_04_01_archive.html




私の父の里、島根の桜。数十キロ先には島根原発がある。





2012/10/05

 

「シェーナウの想い」上映会と神戸の想い





2004年から毎年9月に開催させてもらっている「花と爆弾」チャリティ・イベント。9回目のイベントとなった9月29日の「シェーナウの想い」上映会&交流会は60名近くの方々にご参加いただき、超満員の中、熱く(暑く?^^)終了しました。

上映後の交流会では、多くの質問、疑問にドイツからのお客様ヒルデさんが丁寧に答えてくださり、またもっとテクニカルな(送電網の話だったけど)話題には、会場から自発的に前にでて来てくださって、ホワイトボードに図を書いて説明してくださる方もいらっしゃたりと、神戸発の市民パワーも感じました☆




質問に答えるヒルデさんと通訳を引き受けてくださった洋子さん


質問の内容は、技術的なもののみならず、
「ドイツは倫理委員会を設置して、脱原発を決めたと聞いたけれど、なぜそのようなことができたのか?」
「日本の大企業は原発にしがみついていて、脱原発の足かせとなっているが、ドイツはどうやって企業を抑えこんだのか?」
など、ドイツの社会的、文化的な背景などにも及びました。

ヒルデさんも「ドイツでも企業による原発推進のロビー活動は今でも続いています。脱原発を進めるためには、市民ひとりひとりが公の場にでて、声を上げ続けなければなりません。息の長い戦いなのです。」というようなことを何度もおっしゃいました。

考えて見ればシェーナウの人たちも、ほんとうに長く苦しい道を、皆で協力して粘り強く、辛抱強く脱原発へ一歩一歩進み、今があるのです。

私たちもその辛抱強さ、そして自分達が目指す「理想の社会」をいつも忘れないで動き続けるとい粘り強さを見習わなければと強く思いました。


 
イベント終了後は、会場のサラシャンティさんのお向かいのカフェ「375」にて、食事会♪


今回のイベントでも皆様からの心のこもった浄財53400円をお預かりいたしました。昨日10月4日に、この1年間「花と爆弾」でお預かりしているものとあわせまして、アフガン、イラク、福島のこどもたちのために活動しているNGOに寄付をさせていただきました。ご参加してくださった皆様に、心から感謝いたしております。   

 寄付についての詳細は、以下のブログをご覧ください。
What's New! 「花と爆弾」第9回寄付報告

    

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