2007/04/19
混乱の祖国へ
水曜日に、カーシムさんはイラクに帰国されたそうです。
(カーシムさんに関しては、3月30日の記事をお読みください。)
昨日、バグダッドでは3件のテロ事件が起きて、200名以上の方が亡くなったとか・・・。
そんな混乱と殺戮の続く祖国で、故郷ラマディに診療所を建てようとしているカーシムさん。
先日、NEWS23に出演されたとき、もう日本に来るのはこれで最後かもしれないとおっしゃっていたとか・・・。
2度の拘束を何とか無事に逃れたけど、3度目もあるかもしれない。。。
また、今のイラク人にとって、日本人と協力して活動することも命取りになりかねないことだそうです。なぜなら、自衛隊を派遣している日本は、米軍の一部と思われているから・・・。
高遠菜穂子さんと一緒に進めた学校再建プロジェクトの時も、日本から贈られた机などの物資を、イラクの人たちはなかなか受け取ってくれなかったそうです。
「これは、日本政府からのものじゃなく、日本の民間人からの贈り物なんだ」って、何度も説明して、やっとわかってもらったと、報告会でも説明されていました。
悲しいことだけど、これが現実です・・・。
今回、イラクの現状を知らせるために来日されたとはいえ、母国の人々、特に過激派の人たちに、どう思われるかと思うと、心配で、心配で、たまりません。。。
「花と爆弾」収益寄付は毎年9月末。
皆様からお預かりした浄財を、ラマディの診療所建設の為に、
どうか直接カーシムさんにお渡しできますように。。。
JAPAN TIMES ON LINEに
「イラク再建に取り組む元兵士」という題で、カーシムさんが紹介されています。
英語の記事ですが、カーシムさんの写真も掲載されてますので、ぜひご覧下さい。
Former Iraqi soldier turns to rebuilding
水曜日に、カーシムさんはイラクに帰国されたそうです。
(カーシムさんに関しては、3月30日の記事をお読みください。)
昨日、バグダッドでは3件のテロ事件が起きて、200名以上の方が亡くなったとか・・・。
そんな混乱と殺戮の続く祖国で、故郷ラマディに診療所を建てようとしているカーシムさん。
先日、NEWS23に出演されたとき、もう日本に来るのはこれで最後かもしれないとおっしゃっていたとか・・・。
2度の拘束を何とか無事に逃れたけど、3度目もあるかもしれない。。。
また、今のイラク人にとって、日本人と協力して活動することも命取りになりかねないことだそうです。なぜなら、自衛隊を派遣している日本は、米軍の一部と思われているから・・・。
高遠菜穂子さんと一緒に進めた学校再建プロジェクトの時も、日本から贈られた机などの物資を、イラクの人たちはなかなか受け取ってくれなかったそうです。
「これは、日本政府からのものじゃなく、日本の民間人からの贈り物なんだ」って、何度も説明して、やっとわかってもらったと、報告会でも説明されていました。
悲しいことだけど、これが現実です・・・。
今回、イラクの現状を知らせるために来日されたとはいえ、母国の人々、特に過激派の人たちに、どう思われるかと思うと、心配で、心配で、たまりません。。。
「花と爆弾」収益寄付は毎年9月末。
皆様からお預かりした浄財を、ラマディの診療所建設の為に、
どうか直接カーシムさんにお渡しできますように。。。
JAPAN TIMES ON LINEに
「イラク再建に取り組む元兵士」という題で、カーシムさんが紹介されています。
英語の記事ですが、カーシムさんの写真も掲載されてますので、ぜひご覧下さい。
Former Iraqi soldier turns to rebuilding
2007/04/13
「ニホンジンにつたえたいアフガニスタン」
- SOUL OF AFGHANISTAN PROJECT -
「アフガニスタンは今も生きています。
そこにはたくさんの子どもたちが、私たちと同じように学校へ行き、あるいは学校へ行きたいと願い、仕事をし、あるいは仕事がしたいと夢を持ち、ご飯を食べ、あるいは食べるものがないと嘆き、顔を洗い洗濯をしシャワーを浴び、あるいは水が出ないから何日も我慢し...。そんなふうに彼らは今も暮らしています。
このような状況の中で生きる子どもたちの姿を、彼ら自身の視点で捉えた写真を展示します。」
酒井咲帆さん(チャイルドライフフォトグラファー)から寄せられた文章より。
昨年春、宝塚・アフガニスタン友好協会の西垣敬子さんと共に、カメラのナニワさんのご協力で、たくさんの使い捨てカメラを持って、アフガニスタンに渡った酒井咲帆さん。ご自分で撮られたアフガンの子どもたちの写真と、子どもたちが撮ったアフガニスタンの写真をご提供いただき、「花と爆弾・Mayuriiギャラリー」で、展示させてもらうことになりました。枚数的には多くはありませんが、アフガンの子どもたちが、「ニホンジンに伝えたい」と思って撮ってくれた写真・・・大好きなおばあちゃんや、ロバや、緑の森に友だちの笑顔・・・。神戸にいらした際は、ぜひぜひお立ち寄りください。
** **
花と爆弾・Mayuriギャラリー
アーティスト:アフガニスタンの子どもたち
企画: 酒井咲帆 (チャイルドライフフォトグラファー)
協力:宝塚・アフガニスタン友好協会
●開催期間: 2007年4/12(木)~5/10(火) 水曜定休
場所: 神戸波止場町TEN×TEN
「平和ミュージアム・Mayuri」
** **
*画像は、写真を撮ってくれたアフガニスタンの子どもたちです。
2007/04/08
嬉しいニュースです!
「水と緑の復興こそアフガニスタン平和の基礎」――。同国で医療活動などを続ける非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表、中村哲医師(60)が5日、福岡市で記者会見し、同会が同国東部で造成していた全長13キロメートルの農業用水路が完成したと発表した。
NIKKEI NET(2007/4/6)より
「花と爆弾」でも支援させてもらっているペシャワール会の農業用水路が完成!!!!
この用水路のお陰で、12万人分の消費量にあたる毎年2万トンの小麦の生産が確保できるようになるんですって!!!
皆さんから「花と爆弾」に寄せられたご支援で、この用水路の何メートル(いや、何センチかな?)分でも、お役に立てたかと思うと、感激です!
・降り注ぐ爆弾麦に変われよとマフマルバフはカメラを回す
「花と爆弾」p.64
中村先生は、メスをシャベルに持ち替えて、アフガニスタンに麦を降らせてくださったのね。。
ほんとうに嬉しい☆です。
と書いた後に、ポストを見たら、ペシャワール会からの会報が届いていました。
「潅漑用水路建設事業、第1期13キロメートルが完成!!
~ただちに第二期(全長7キロ)工事に着工します~」
これからもアフガニスタンに緑の大地を広げていただくために、支援を続けさせてもらいます♪
「水と緑の復興こそアフガニスタン平和の基礎」――。同国で医療活動などを続ける非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表、中村哲医師(60)が5日、福岡市で記者会見し、同会が同国東部で造成していた全長13キロメートルの農業用水路が完成したと発表した。
NIKKEI NET(2007/4/6)より
「花と爆弾」でも支援させてもらっているペシャワール会の農業用水路が完成!!!!
この用水路のお陰で、12万人分の消費量にあたる毎年2万トンの小麦の生産が確保できるようになるんですって!!!
皆さんから「花と爆弾」に寄せられたご支援で、この用水路の何メートル(いや、何センチかな?)分でも、お役に立てたかと思うと、感激です!
・降り注ぐ爆弾麦に変われよとマフマルバフはカメラを回す
「花と爆弾」p.64
中村先生は、メスをシャベルに持ち替えて、アフガニスタンに麦を降らせてくださったのね。。
ほんとうに嬉しい☆です。
と書いた後に、ポストを見たら、ペシャワール会からの会報が届いていました。
「潅漑用水路建設事業、第1期13キロメートルが完成!!
~ただちに第二期(全長7キロ)工事に着工します~」
これからもアフガニスタンに緑の大地を広げていただくために、支援を続けさせてもらいます♪
2007/04/04
カーシムさんの本が、ネットで購入できるようになりました!
カーシム・トゥルキ著「イラクからの手紙-失われたボクの町ラマディ-」
ぜひぜひ、直に本を読んで、ご感想をお寄せくださいね。
改めまして、「イラクからの手紙-失われたボクの町ラマディ-」の私の感想。
私が一番感動したのは、「はじめに」のカーシムさんの心の変化。
開戦当時はイラク軍にいて、米軍への報復しか考えていなかったカーシムさんが、日本から来たジャーナリストや、ボランティアの高遠菜穂子さんと親交を深め、そして、復讐という暴力に走るのではなく、自分の街ラマディの再建に立ち上がる。
イラク開戦が2003年4月、そして、カーシムさんが空爆で被害を受けた学校の再建を皆に呼びかけ始めたのは、2003年後半。
その後も、本当にいろいろあって(2004年の米軍による大規模ファルージャ掃討作戦とか、肉親の死とか・・・)、現在2007年4月。
これほど長い間、暴力と悲しみと混沌の中にありながら、それでも再建の希望を持ち続けているカーシムさん。
今も「暴力を拒絶し、平和を選ぶ」と断言するカーシムさんを、本当に応援したいと思います。
カーシム・トゥルキ著「イラクからの手紙-失われたボクの町ラマディ-」
ぜひぜひ、直に本を読んで、ご感想をお寄せくださいね。
改めまして、「イラクからの手紙-失われたボクの町ラマディ-」の私の感想。
私が一番感動したのは、「はじめに」のカーシムさんの心の変化。
開戦当時はイラク軍にいて、米軍への報復しか考えていなかったカーシムさんが、日本から来たジャーナリストや、ボランティアの高遠菜穂子さんと親交を深め、そして、復讐という暴力に走るのではなく、自分の街ラマディの再建に立ち上がる。
イラク開戦が2003年4月、そして、カーシムさんが空爆で被害を受けた学校の再建を皆に呼びかけ始めたのは、2003年後半。
その後も、本当にいろいろあって(2004年の米軍による大規模ファルージャ掃討作戦とか、肉親の死とか・・・)、現在2007年4月。
これほど長い間、暴力と悲しみと混沌の中にありながら、それでも再建の希望を持ち続けているカーシムさん。
今も「暴力を拒絶し、平和を選ぶ」と断言するカーシムさんを、本当に応援したいと思います。