2018/07/31

 

原発事故被害者の方たちとのつながり

5月から7月にかけて、原発事故による被害者の方たちと強くつながる機会をたくさん頂きました。facebookへの投稿記事をまとめる形で、当ブログに掲載いたします。


福島・浪江町の
今野寿美雄さん
5月23日の福島・浪江町の今野寿美雄さんのお話し会には、平日の夜にもかかわらず、たくさんの方が参加してくれて、とても多彩で賑やかな会になりました。


お話しの内容はほんとうに深刻。最初にお話しして下さった福島の帰還困難区域から兵庫県に避難されている菅野みずえさんは写真を提示しながら、福島の様子を紹介してくださいましたが、180年前に建てられた由緒正しいご自宅が放射能に汚染され、泥棒に荒らされ、除染しても汚染はなくならず・・・自分の家がなすすべもなく朽ち果てていく、それも原発事故のせいで・・・いたたまれません。

今野寿美雄さんのお話しでは、今野さんが震災以前は原発作業員だったので、原発内で低レベル放射性廃棄物になる基準である100ベクレル/kgが、今や食べ物の基準に使われているのはおかしい。また、菅野さんが原発事故後にスクリーニングでカウントされた1万cpm(後ほど10万cpmであったことが判明)という値は、原発敷地内から出してはいけない基準値180cpmからは考えられないほどの被ばくを受けたということなど、原発事故後に日本の環境にまき散らされた放射性物質がどれほど桁違いというか、事故前では考えられないほど酷いものだということを、改めて認識しました。

また、福島第一原発で鉄塔に亀裂があって排気筒が心配というような記事を1,2年前だったかに読んだ覚えがありましたが、その排気筒というのは、事故時のベントのせいで200シーベルト(ミリシーベルトじゃないですよ。即死決定の値です!)もの汚染で、鉄塔の修理も出来ない状況。この排気筒が、もしも海側に倒れたら、2号機の使用済み燃料プールを破壊し、大惨事となる可能性が・・・。

原発事故から7年が経って、ほとんと報道されなくなった福島第一原発ですが、私たちはまだ、原子力緊急事態宣言発令中の国にいることを肝に銘じなければなりません。

もちろん、若狭湾で稼働中の原発が事故を起こせば、菅野さんや今野さんが経験されたこと以上の深刻な事態が近畿を襲うでしょう。

皆で、再稼働をやめ、原発をやめるため、自治体、国を動かしていかなければと強く思いました。


6月27日。福島県いわき市で子どもを守るための活動を続けるママさんたちの代表、ちばゆみさんの講演会。私は、食料環境セミナーさん主催の午前の講演会と、夜のさよなら原発神戸アクションのメンバーとのゆみさんを囲む会まで、朝の10時30分から夜の11時まで、ご一緒させていただきました。

ほんとうだったら行政が率先して行わなければならない校庭や園庭の空間線量や土壌汚染の計測をママたちで地道に続け、データーを蓄積することで、いわき市の教育委員会に認められたこと。楽しいお茶会を続けることで、ママたちとのつながりをつくり続け、そのつながりをもとに、モニタリングポスト撤去中止の要請をサポートし、いわき市だけでなく、福島県の多くの市町村で展開中のこと。

私も何度か、安定ヨウ素剤の事前配布を求めて兵庫県に要請行動をしたことがあるので、ゆみさんの表にはでない苦労を想像すると、ほんとうに並大抵のことではないと思います。

それを福島県で、「風評被害を助長するな」との声が吹き荒れる中、7年以上も続けてこられた・・・それが、今、福島県のメディアや議会が一緒になってモニタリングポスト撤去中止に動いてくれている。

「子どもたちを守るために」その一点で動き続けてきたゆみさんの思いが、多くの人を動かすことになったのだと、一日ご一緒して、ほんとうに実感しました。
ゆみさん、子どもたちのために、ほんとうにありがとう!

下の写真は、講演会に参加してくれていた福島県から関西に避難されて関西賠償訴訟原告団代表の森松さんとちばゆみさんとのツーショット。立場は違うけれど、子どもたちを被ばくから守るために一生懸命なふたりのママがつながってくれました。被害者が分断されるのではなく、一緒になって、国や県を動かしていく・・・私たちもその輪に加わって、子どもたち、そして私たちの未来を守るために、動き続けたいと、勇気をもらえた場面でした。



7月14日。元町で田井中雅人朝日新聞記者の講演会に参加。田井中さんは、核問題を追っている記者さんで、311の時の米軍のトモダチ作戦に参加したことで被ばくし、健康を害し命を落としていっている米兵たちの裁判のことや、核兵器禁止条約の動きなどにとても詳しい方。
それにメディアの方だから、世の中の流れも見ていらっしゃる。最後に少し個人的にお話しさせてもらったときの田井中さんの言葉がずしんときた。
「来年になると、オリンピックの前年になるから、原発事故の話などしても、「いつまで言ってんだ」という空気になっているかもしれない。」

きっとそうなるのだろう。
どうやって原発と被ばくから暮らしと健康を守り、被害に遭われた方たちのお手伝いをしていくか・・・、そのやり方をじっくり考えなければならないと改めて思う。

写真は、田井中さんの著書と、今日のレジュメです。


7月22日。「原発の町を追われて」上映会&シェアリング。
一番実感したのは、「被ばくしたくない」「自分の健康を守りたい」という「生きもの」として当然の行動が、許されない社会なんだということ。

双葉町民を連れて埼玉に避難した当時の井戸川双葉町長も、そして、水戸から関西に避難されたこられて、昨日会場でその体験を語ってくれたOさんも、「被ばくさせられたくない」が原点だと感じました。

どうしてそれが許されないのか・・・原発・核というビジネスで潤っている人たち、また「経済」という最終的には1%の人たちの利益になるシステムにとって、都合が悪いからでしょう。

被ばくさせられる弱い立場の人たちを、県内では避難困難区域だのなんだの、全国的には「放射能汚染は福島の問題だ」のように線引きをして分断し、諍いの中で疲弊させ、骨抜きにしてしまう彼らのやり方。

それに翻弄されるのではなく、「被ばくしたくない」「このような事態を招いた者に責任をとらせる」その原点に立って、日本全国で皆が自分のこととして一緒になれば、この日本も変えられるのに・・・そう強く感じました。

写真は、避難者さんたちが起こしている原発賠償訴訟をサポートするポカポカサポートチームさんたちと。




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