2013/08/13
『原発難民』(書籍紹介)
烏賀陽 弘道著『原発難民』(PHP新書2012年刊)を読んだ。様々な問題が複合的に絡み、対応の糸口すら見当も付かないような東京電力福島第一原発事故とその被害を、可能な限り予断を避け、ジャーナリストとして問題の核心に迫ろうとした渾身の書だった。中でも、私がこれまで見落としていた視点、他の問題と混同してしまって見逃していた点を、当ブログで少し紹介させてもらいたい。
第4章 被曝者も避難者も出さない方法は確実にあった
世間一般には、「想定外の地震と津波によりメルトダウンが起きたので、放射能汚染は止められなかった」というような空気の中で、周辺の住民の被曝も「仕方がなかった」ように受け止めれれていると思われるが、烏賀陽氏は、原発事故と住民の被曝を、分けて考えることの重要性を提示している。二つは別の種類の問題なのだ。
烏賀陽氏は、ある書物に出会う。それは2007年刊行の『原子力防災-原子力リスクすべてと正しく向き合うために』(創英社・三省堂書店)。この本では、原発のシビアアクシデントとその際の住民の被曝を想定し、その防災について細部まで検討されていた。著者は、東大工学部電気工学科を卒業後、四国電力に入社し、伊方原発に勤務経験もあり、原子力安全基盤機構(当時は原子力発電技術機構)に在籍し、2004年に四国電力を定年退職した松野元氏。いわゆる「原子力ムラ」の真ん中にいた人が、防災体制の欠陥を指摘していたのだ。
烏賀陽氏の「福島第一原発事故による住民の被曝は避けられなかったのか」という疑問への、松野氏の回答は明瞭だ。以下、引用させていただく。
「全交流電源を喪失したのですから、格納容器が壊れることを考えて、25時間以内に30キロの範囲の住民を逃がすことです。」
---- 全交流電源喪失は、どの時点でわかるのですか?どこから起算すればいいのですか?
「簡単です。原子力災害対策特別措置法第十五条に定められたとおり、福島第一原発が政府に『緊急事態の通報』を行っています。3月11日の午後4時45分です。このとき格納容器が壊れることを想定しなければならない。つまり、放射性物質が外に漏れ出すことを考えなくてはならない。・・中略」
つまり、全交流電源喪失・冷却機能喪失で十五条通報=格納容器の破損の恐れ=放射性物質の放出、なのだ。したがって、十五条通報があった時点で、住民避難を始めなくてはならなかったのだ。(pp.199-200)
このように事故に備えた法律が存在していたこと、十五条通報の持つ意味を、「政府」を構成する政治家が知っていたかどうかは疑わしいが、同じく構成員の官僚や専門家、この場合原子力安全・保安院や原子力安全委員会は当然知っているはずで、十五条通報を受けて、緊急事態を宣言し、住民の避難を即時に開始する必要があることを政治家(当時の菅首相)に伝えなければならなかった。そこを故意か過失かはわからないが伝えず、ただただ「電源車を用意してくれ」と東電が言い続けた原子炉を守るための要請しか首相官邸に入ってこない事態に陥ったのが、住民の被曝を避けられなかった最初の躓きだったのではないかと、烏賀陽氏の著書からはうかがえる。
まだまだ、様々な点から、住民被曝は避けられたという視点、また現在も変らず残り続ける原子力関係者の責任回避と問題隠蔽の姿勢を提示してくれている貴重な書であるので、ぜひ読んでいただきたいが、最後にもうひとつ、烏賀陽氏の言葉を引用させていただく。
「フクシマの甚大な犠牲や苦しみを無駄にしない方法が唯一あるとするなら、『何をまちがえたのか』を徹底的に洗い出して、改め、二度と同じ失敗をくりかえさないようにすることしかありません。しかし、国会、政府、民間の事故調査委員会の報告が出そろったいまとなっても、それがなされたとは、私にはとうてい思えないのです。
いま、私たちの前には、政治家、官僚、学者、電力会社、新聞・テレビなど記者クラブ系メディアの過ち、不作為、無責任といった醜悪な堆積がそびえています。そうした失敗の地層を掘り起こし、解明する作業が、そう簡単に終わるとは思えません。この本でも書ききれませんでした。放射能雲の下から始まった探求の旅を、私は当分続けるつもりです。」(pp.237-238)
福島の人々を襲ったこの人災とも呼べる不作為の連鎖は、原子力発電所をいたるところに抱える日本列島に住む私たちひとりひとりを明日襲うかもしれない惨劇です。私もそのことを肝に銘じて、この問題に対して、自分なりの探求を続けたいと思います。
関連サイト
一部ですが、ご紹介した烏賀陽 弘道氏の著書の初出の原稿を読むことができます。
■JBpress烏賀陽 弘道サイトより
「福島第一原発事故を予見していた電力会社技術者
無視され、死蔵された「原子力防災」の知見」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35339
2013/08/02
バックミラーに見る未来?
参院選とマスメディア・・・緑の党を応援して見えたもの
7月の参議院選挙に、友人の松本なみほさんが緑の党の候補として兵庫選挙区から立候補したことをきっかけに、初めて真剣に関わった国政選挙。今までのただ投票するだけの参加では見えていなかったもの、気がつかなかったものが、今回見えてきたので、このブログでまとめてみたいと思います。
昨年7月に結党された緑の党グリーンズジャパンは、今回が初の国政選挙への挑戦。オーストラリアやヨーロッパ、その他世界90カ国にあるグローバルグリーンズと連携する「緑の党」が日本に誕生し、その初の選挙ということで、外国メディアはかなり注目していたようだが(注1)、日本のメディアでは、ほとんど注目されることもなく、比例代表において有権者は「緑の党」と書いて投票することができるのに、「政党要件を満たしていない」(注2)とのことか、多くの場合「諸派」として扱い、その名称さえ有権者が知ることは難しく、そのような新しい選択肢があることも有権者には知られなかった。
そのようなマスコミの「壁」を意に介さず、「政(まつりごと)をみなの祭りに」・「選挙フェス」と銘打って、音楽と調和のメッセージによる街宣を繰り広げたのが「緑の党」推薦候補の三宅洋平氏だった。彼の政治に対する考え方、敵を作らず、皆で話し合う場を国会に取り戻そうとするメッセージが、ツイッターやフェイスブックを媒体に多くの共感を呼び、選挙活動最終日の7月20日の渋谷での街頭演説には1万人以上とも言われる聴衆が集まり、投開票の結果、三宅氏は17万票以上を獲得した。緑の党自体の得票が伸びず、三宅さんは落選したが、落選者の中では最多得票だった。
そんな三宅氏を、選挙期間中は「諸派」として扱い続けたマスコミ。一例をあげると、彼の7月20日の渋谷での街宣に集まる聴衆の様子の空撮写真を7月21日の朝刊の1面に掲載した朝日新聞は、その記事において、「三宅洋平」「緑の党」にはまったく言及せず、ただ自民党、民主党など、大政党の党首のコメントや動き、また「党派別候補者数」一覧(緑の党は諸派扱い)を載せただけだった。(注3)
選挙が終わってようやく、朝日新聞は『「三宅洋平って誰?」選挙フェス17万票の方法論』(注4)、また社説において「もう一つの参院選―参加と対話の政治を育む」(注5)と、今回の参院選で見出された新しい動きについて書いていた。
これはどういうことだろう?
「選挙期間中は特定の候補や政党に有利にならないように報道しなければならない」との原則を重んじているのかもしれないが、今の報道のあり方では、既成政党には有利で、新しく政党に加わろうとする政治団体には不利であり、そこから立候補する候補者には不利であるのは確かだ。特に前述の7月21日朝日新聞の記事では、同じく政党要件を持たない「新党大地」(前回の衆議院選挙で政党要件を喪失)までは「党派別の候補者数」一覧に掲載し、「緑の党」「幸福実現党」は諸派として扱った理由を明らかにしてもらいたい。また当ブログでは例として朝日新聞の記事をあげさせてもらったが、、このような所属政党による不公平はほとんどすべての報道に見られた。このことをマスコミ各社には真剣に考えてもらいたい。
ただ、問題の根は深いように私には思える。
例えば、三宅洋平氏は神戸の三宮でも「選挙フェス」を行った。たくさんの若者を中心とした聴衆が集まったことは、当ブログでも紹介した(注6)。新聞社やテレビ局も取材にきていた。しかし、翌日の地元新聞が伝えたのは、公園の選挙ポスター掲示板の前に座ってスマホに没頭する若者の写真で、「若者は選挙に関心ありません」というこれまでのイメージに沿ったものを報道していた。
このようなマスコミの報道姿勢・・・非常に意地の悪い見方で恐縮だが、「皆が知っているような(前からある)イメージに沿った記事を書いておけば非難もなく安全」と考えているのではないかと疑うような報道を、今回まざまざと見た気がする。
これも私が緑の党の応援をしていたから、仲間から情報を得て、現場に行くということができたからわかったことだ。そうでなければ、私も相変わらず「若者は政治に関心ないな~」と思っていただろう。
60年代に脚光を浴びたメディア学者、マーシャル・マクルーハンは「われわれはまったく新しい状況に直面すると、つねに、もっとも近い過去の事物とか特色に執着しがちである。われわれはバックミラーを通して現代を見ている。われわれは未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく」(注7)と書いたが、数年ぶりにこの言葉を思い出した。
マスコミだけではない。私たちはあらゆるものに対して、過去の事物、過去の例にとらわれて、未来が見えなくなっているのではないだろうか?本来ならば、今の動きを察知して、未来の可能性をも見据えて事象を伝えるプロのはずのジャーナリストは、今のマスコミに存在するのだろうか?それとも、私たちが過去の事物に執着しすぎたので、ジャーナリストが居場所をなくしてしまったのだろうか?
あるいは、もうマスコミは必要なくなったのか?マスコミを使わずして、三宅洋平氏は17万票以上を得票し、選挙が終わっても、変らず若者達を惹きつけ、政治参加へと巻き込み続けているのだから。
今回の経験を通して、強く思ったこと。
心をまっさらにして、街へ出よう!人と出会おう!話をしよう!
そこから、ほんとうの世界が見える。
そこからしか、未来は見えない。
注1 IWJ(http://iwj.co.jp/)にて、外国人記者クラブにおける「みどりの風」代表(当時)の記者会見を視聴したが、記者からの最初の質問は、「緑の党グリーンズジャパン」との連携のことだった。
注2 政党要件について↓
http://kotobank.jp/word/%E6%94%BF%E5%85%9A%E8%A6%81%E4%BB%B6
注3 参院選 きょう投開票 夜には大勢判明
朝日新聞デジタル2013年7月21日0時0分
http://www.asahi.com/politics/update/0720/TKY201307200223.html
*渋谷での写真が掲載されています
注4(社説)もう一つの参院選―参加と対話の政治を育む
朝日新聞デジタル 7月31日(水)7時0分配信 (有料記事)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130731-00000004-asahik-soci
注5「三宅洋平って誰?」選挙フェス17万票の方法論
朝日新聞デジタル 7月31日(水)5時5分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130731-00000007-asahi-musi
注6 虹の戦士たち?今回の参議院選挙から、日本が変るかも?
ブログ:Words for Peace
http://flowersandbombs.blogspot.jp/2013_07_01_archive.html
注7
『メディアはマッサージである』
マーシャル・マクルーハン著 河出書房新社、1995年刊
7月の参議院選挙に、友人の松本なみほさんが緑の党の候補として兵庫選挙区から立候補したことをきっかけに、初めて真剣に関わった国政選挙。今までのただ投票するだけの参加では見えていなかったもの、気がつかなかったものが、今回見えてきたので、このブログでまとめてみたいと思います。
昨年7月に結党された緑の党グリーンズジャパンは、今回が初の国政選挙への挑戦。オーストラリアやヨーロッパ、その他世界90カ国にあるグローバルグリーンズと連携する「緑の党」が日本に誕生し、その初の選挙ということで、外国メディアはかなり注目していたようだが(注1)、日本のメディアでは、ほとんど注目されることもなく、比例代表において有権者は「緑の党」と書いて投票することができるのに、「政党要件を満たしていない」(注2)とのことか、多くの場合「諸派」として扱い、その名称さえ有権者が知ることは難しく、そのような新しい選択肢があることも有権者には知られなかった。
そのようなマスコミの「壁」を意に介さず、「政(まつりごと)をみなの祭りに」・「選挙フェス」と銘打って、音楽と調和のメッセージによる街宣を繰り広げたのが「緑の党」推薦候補の三宅洋平氏だった。彼の政治に対する考え方、敵を作らず、皆で話し合う場を国会に取り戻そうとするメッセージが、ツイッターやフェイスブックを媒体に多くの共感を呼び、選挙活動最終日の7月20日の渋谷での街頭演説には1万人以上とも言われる聴衆が集まり、投開票の結果、三宅氏は17万票以上を獲得した。緑の党自体の得票が伸びず、三宅さんは落選したが、落選者の中では最多得票だった。
そんな三宅氏を、選挙期間中は「諸派」として扱い続けたマスコミ。一例をあげると、彼の7月20日の渋谷での街宣に集まる聴衆の様子の空撮写真を7月21日の朝刊の1面に掲載した朝日新聞は、その記事において、「三宅洋平」「緑の党」にはまったく言及せず、ただ自民党、民主党など、大政党の党首のコメントや動き、また「党派別候補者数」一覧(緑の党は諸派扱い)を載せただけだった。(注3)
選挙が終わってようやく、朝日新聞は『「三宅洋平って誰?」選挙フェス17万票の方法論』(注4)、また社説において「もう一つの参院選―参加と対話の政治を育む」(注5)と、今回の参院選で見出された新しい動きについて書いていた。
これはどういうことだろう?
「選挙期間中は特定の候補や政党に有利にならないように報道しなければならない」との原則を重んじているのかもしれないが、今の報道のあり方では、既成政党には有利で、新しく政党に加わろうとする政治団体には不利であり、そこから立候補する候補者には不利であるのは確かだ。特に前述の7月21日朝日新聞の記事では、同じく政党要件を持たない「新党大地」(前回の衆議院選挙で政党要件を喪失)までは「党派別の候補者数」一覧に掲載し、「緑の党」「幸福実現党」は諸派として扱った理由を明らかにしてもらいたい。また当ブログでは例として朝日新聞の記事をあげさせてもらったが、、このような所属政党による不公平はほとんどすべての報道に見られた。このことをマスコミ各社には真剣に考えてもらいたい。
ただ、問題の根は深いように私には思える。
例えば、三宅洋平氏は神戸の三宮でも「選挙フェス」を行った。たくさんの若者を中心とした聴衆が集まったことは、当ブログでも紹介した(注6)。新聞社やテレビ局も取材にきていた。しかし、翌日の地元新聞が伝えたのは、公園の選挙ポスター掲示板の前に座ってスマホに没頭する若者の写真で、「若者は選挙に関心ありません」というこれまでのイメージに沿ったものを報道していた。
このようなマスコミの報道姿勢・・・非常に意地の悪い見方で恐縮だが、「皆が知っているような(前からある)イメージに沿った記事を書いておけば非難もなく安全」と考えているのではないかと疑うような報道を、今回まざまざと見た気がする。
これも私が緑の党の応援をしていたから、仲間から情報を得て、現場に行くということができたからわかったことだ。そうでなければ、私も相変わらず「若者は政治に関心ないな~」と思っていただろう。
60年代に脚光を浴びたメディア学者、マーシャル・マクルーハンは「われわれはまったく新しい状況に直面すると、つねに、もっとも近い過去の事物とか特色に執着しがちである。われわれはバックミラーを通して現代を見ている。われわれは未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく」(注7)と書いたが、数年ぶりにこの言葉を思い出した。
マスコミだけではない。私たちはあらゆるものに対して、過去の事物、過去の例にとらわれて、未来が見えなくなっているのではないだろうか?本来ならば、今の動きを察知して、未来の可能性をも見据えて事象を伝えるプロのはずのジャーナリストは、今のマスコミに存在するのだろうか?それとも、私たちが過去の事物に執着しすぎたので、ジャーナリストが居場所をなくしてしまったのだろうか?
あるいは、もうマスコミは必要なくなったのか?マスコミを使わずして、三宅洋平氏は17万票以上を得票し、選挙が終わっても、変らず若者達を惹きつけ、政治参加へと巻き込み続けているのだから。
今回の経験を通して、強く思ったこと。
心をまっさらにして、街へ出よう!人と出会おう!話をしよう!
そこから、ほんとうの世界が見える。
そこからしか、未来は見えない。
注1 IWJ(http://iwj.co.jp/)にて、外国人記者クラブにおける「みどりの風」代表(当時)の記者会見を視聴したが、記者からの最初の質問は、「緑の党グリーンズジャパン」との連携のことだった。
注2 政党要件について↓
http://kotobank.jp/word/%E6%94%BF%E5%85%9A%E8%A6%81%E4%BB%B6
注3 参院選 きょう投開票 夜には大勢判明
朝日新聞デジタル2013年7月21日0時0分
http://www.asahi.com/politics/update/0720/TKY201307200223.html
*渋谷での写真が掲載されています
注4(社説)もう一つの参院選―参加と対話の政治を育む
朝日新聞デジタル 7月31日(水)7時0分配信 (有料記事)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130731-00000004-asahik-soci
注5「三宅洋平って誰?」選挙フェス17万票の方法論
朝日新聞デジタル 7月31日(水)5時5分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130731-00000007-asahi-musi
注6 虹の戦士たち?今回の参議院選挙から、日本が変るかも?
ブログ:Words for Peace
http://flowersandbombs.blogspot.jp/2013_07_01_archive.html
注7
2013年7月12日神戸三宮にて 三宅洋平氏の登場を待つ若者たち |
マーシャル・マクルーハン著 河出書房新社、1995年刊