2023/01/03
『武器としての国際人権』を読んで・・「失われた30年」
文字ぎっしりの大著です |
失われた30年とも言われ、低迷を続ける日本ですが、それは経済だけではなく、人権水準においてもそうだったのだと、痛感させられた『武器としての国際人権』(藤田早苗著 集英社新書 2022年刊)でした。
基本的人権については、世界人権宣言(1948年採択)ばかりでなく、日本国憲法(1947年施行)の3原則のひとつに掲げられ、憲法第十一条にも、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。」と記されていますが、世界での人権向上への取り組みとはうらはらに、日本は停滞を続けており、その水準の差は拡大の一方のようです。
本稿では、まず国際人権のこれまで、次に、日本の現状、今後への示唆について、『武器としての国際人権』と、私も市民として実現のために関った国連特別報告者の訪日調査の経験などを交えて、紹介したいと思います。
国際人権のこれまで:
世界ではどのように人権の水準の向上が図られてきたのかを明確にするために、
『武器としての国際人権』で言及された国際人権についての基本概念と簡単な年表を作成してみました。
注:緑字の文章は『武器としての国際人権』からの引用
人権:生まれてきた人間すべてに対して、その人が能力を発揮できるように、政府はそれを助ける義務がある。その助けを要求する権利が人権。人権は誰にでもある。(p. 19)
国際人権:世界には国連以外にも欧州、米州、アフリカにそれぞれ地域の人権条約と人権裁判所があり(残念ながらアジアにはない)、多くの重要な判例を生んできた。国連やこれらの地域的な人権保障制度のもとで打ち立てられた規範と制度を尊重して「国際人権」と呼ぶ(p. 31)
中核となる国連の宣言、条約について:
1948年 世界人権宣言が国連総会で採択される
1966年 自由権規約と社会権規約が採択される 日本は1979年に両規約を批准
1969年 人種差別撤廃条約
1979年 女性差別撤廃条約
1984年 拷問等禁止条約
1989年 子どもの権利条約
1990年 移住労働者権利条約
2006年 強制失踪条約
2006年 障害者権利条約
「これらのうち日本は移住労働者の権利条約以外の八つを批准している。
日本国憲法は、条約を誠実に遵守することを定めている(第98条2項)。この規定から国が批准や加入した条約は、国内でも法的拘束力を持ち、国内で直接適用することができる。つまり国内でも現行法としての効力を持つので、裁判でも当事者は関連する人権条約の規定を用いた主張ができるし、裁判所も人権条約の規定を適用した判断を出すことが求められる。」(p. 30)
「失われた30年」の国際人権の動き:
1993年 国家機関(国内人権機関)の地位に関する原則(パリ原則) ← 日本は原則に基づいた実施をしていない
1997年 アナン国連事務総長「人権を国連のすべての活動で主流化する」
これによって、保健や開発に取り組む国連専門機関でも、参加、差別の禁止、説明責任、透明性などの『人権の視点』をそれぞれの政策や運営、活動に取り入れられる試みが続けられている(p.33)
2006年 人権委員会に替えて人権理事会が創設される。
2008年 「UPR(普遍的・定期的レビュー)」制度が審査の実施を開始。
UPRは、人権理事会の創設に伴い、国連加盟国(193ヶ国)全ての国の人権状況を普遍的に審査する枠組みとして盛り込まれた制度。
2011年 Standing Invitation(特別報告者から調査訪問依頼を受けたら常時受け入れる)と日本政府が宣言(民主党政権)← この宣言がないがしろになっていることは後述
2011年 ビジネスと人権に関する指導原則が国連人権理事会で承認される。
2022年10月現在 個人通報制度は、173の自由権規約の締約国のうち117カ国が受諾。
↑ 日本は法務省の人権擁護委員会があるとして、受諾していない。
ちょっとcoffe break |
日本の人権意識のアップデートを!
この年表から見て取れることは、人権の国際標準は1997年に変化の兆しが明らかになり、2006年に人権理事会が創設されてからは、UPRや特別報告者の制度によって、加盟国各国の人権についての審査や勧告を行うという、より積極的なアプローチに変わったことでしょう。
人権問題について、国連の人権システムから勧告を受けることを、一部の人たちは「内政干渉」と捉えることがありますが、その勧告を慎重に検討し、自国の人権水準を向上させてくことを加盟国は遵守しなくてはならず、またそれができなくては、国際社会から取り残されてしまうと思われます。
具体例として、日本でも非常に懸念されている「特定秘密保護法」が挙げられます。
2013年当時、国連特別報告者も国連人権高等弁務官も「情報を秘密と特定する根拠が極めて広範囲で曖昧」(p.176)と声明を出し、国連人権規約委員会でも懸念がしめされましたが(もちろん国内でも多くの反対の声が上げられました)、国会では十分な審議時間が確保されず、採決が強行されました。
アメリカ政府の三つの政権において安全保障に関する要職を務めたモーン・ハルベリン氏は、「この法は、21世紀に民主的な政府によって検討された秘密保護法の中で最悪なものだ。(中略)」「法案はあまりにも急いで、そして十分な公開討議を行わずに成立した。政府は日本の市民社会と国際的な専門家との十分な話し合いを経たうえで、この法律改定に専心すべきであると」と述べている。(中略)
南アフリカ共和国(南ア)が同様の法律を起草した際には、政府は国内外の専門家と意見を交わし、成立までに二年以上をかけているのである。(中略)その結果二年以上をかけて法案は質の高いものになったという。このように、専門家からのインプットや彼らとの意見交換を経て法案や政策を国際人権基準に近づけていく、これが本来あるべきプロセスだろう」(pp.177-178)
パブリック・コメントに二週間しか設けず、それらのコメントもほとんど考慮されず、密室での審議と国会での不十分な答弁のみで短期間で押し通された日本の秘密保護法の制定・審議過程とは雲泥の差である。(p.179)
また、国際人権基準に沿った人権意識が、ビジネスの場にも重要であることを痛感させられるのは、2011年 ビジネスと人権に関する指導原則ではないでしょうか?
ちょうど先月にその問題を扱った動画を視聴しましたので、ご紹介します。
■サプライチェーンの人権尊重で国際標準から乗り遅れる日本
ビデオニュースドットコム 2022/12/10
https://www.videonews.com/marugeki-talk/1131
「グローバル企業が網の目のようにサプライチェーンを伸ばしていくなか、国際社会としてのルールづくりもこの10年で大きく動いている。国連は2011年にビジネスと人権に関する指導原則を策定、人権を擁護する国家の責務と企業の責任を明記した。またOECDも多国籍企業行動指針に人権における原則と基準を加えている。日本政府もようやく今年になって経産省内に検討会を設け、この9月にサプライチェーンの人権問題についてのガイドラインを公表した。」以上、上記のリンクより。
私と国際人権について:
私が国際人権に非常に興味を持ったきっかけは、国内避難民の人権に関する国連特別報告者による訪日調査を実現する会に市民メンバーとして参加したことからでした。
この場合の国内避難民とは、原発事故や災害により避難を余儀なくされた人たちのことを指しますが、2022年に来日したセシリア・ヒメネス・ダマリー国連特別報告者の東京での会見は、日本に欠けている人権意識は何かを、私に気づかせてくれました。
ダマリー国連特別報告者が、何度も何度も、国内避難民自身が決定のプロセスに参加をすることの重要性を述べられているのを聞き、日本に欠けているものは、そのような当事者の参加だと思いました。
決定のプロセスから排除されることによって多くの人があきらめ、泣き寝入り・・・すなわち人権が損なわれている事態が、見過ごされ、ないものにされ、社会を息苦しく、生きにくく、いびつなものにしているのではと思いました。
そして、本書をじっくりと読み、ダマリー国連特別報告者は、ただただ国連人権システムの原則を繰り返していたのだと気がつきました。すなわち、「参加、差別の禁止、説明責任、透明性などの『人権の視点』をそれぞれの政策や運営、活動に取り入れる」。
原発事故により避難を余儀なくされ国内避難民となった方たちは、
・放射能汚染や自身の被ばくの情報も与えられず、 ←(透明性の欠如)
・政府による決定について十分な説明も受けず、 ← (説明責任の欠如)
・避難指示区域と区域外からの避難者として区別され、政府や自治体からの支援は平等に得られず、← (差別的扱い)
・何よりも決定的なことは、それらの政策決定に当事者としてまったく参加できなかった。 ←(参加の欠如)
これは、国際標準の人権の視点がまったく取り入れられていない状態であり、日本政府は国内避難民の人権をないがしろにしているということです。これは放置されていてはならず、国際人権標準に沿うように、政府は改善する義務があるのです。
「失われた30年」で、他国は経済的に順調に成長しましたが、日本は停滞しています。人権でも同じ状況にあるということを、私も本書を読んで実感しました。
世界は成長を続けている・・・日本の政府、議員、官僚、経済界、そして司法、三権のすべてに関わっている人たち、そして国民に、一刻も早く気づいてほしいと思います。
再びcoffee break |
特別報告者について:
訪日調査を実施した特別報告者(例)
健康への権利に関する特別報告者(2012年)
表現の自由に関する特別報告者(2016年)
国内避難民の人権に関する特別報告者(2022年)(p.52)
しかし、キャンセルや、訪日要請が放置されていることも多いのが日本の現状です。
「2017年8月には居住の権利に関する特別報告者の訪日調査が決まっていたのに、日本政府は『内閣改造』という調査とは直接関係のない理由でキャンセルした。(中略)ほかにも複数の特別報告者が日本政府に要請しながら放置されている。」(p.74)
そして、藤田氏は国連報告者の重要性を訴えます。
特別報告者を尊重し協力しないと、国連憲章に反することになる。その意見や勧告は、日本も批准し実施義務を負う人権条約などで説明される国際人権基準に基づいたものだ。つまり、特別報告者は国際法を代表しているといえる。そして2006年にアナン国連事務総長は特別報告者を「国連人権機関の王冠に載せる宝石」と評したが、それくらい重要な役割を担っている。(p.51-52 )
「特別報告者は政治的機関である人権理事会を代表するものではなく、政治性がない個人資格の独立した専門家だからこそ、その意見は慎重に検討されなければならないのだ。」(p. 87)
「国連の人権システムでは、政府と特別報告者や人権条約機関との建設的対話がきわめて重要なのだ。そういう対話を重ねるなら、その国の法律や制度も国際人権基準に沿った良いものになっていくはずだ。」(pp.91-92)
上記の藤田氏の訴えも届かず、
政府のみならず、外務省も下記の見解を掲載し、国連特別報告者を軽視しているようです。
2023年1月現在の外務省のHPより:
「特別報告者は、特定の国の状況又は特定の人権に関するテーマに関し調査報告を行うために、人権理事会から個人の資格で任命された独立の専門家であり、同専門家の見解は、国連又はその機関である人権理事会としての見解ではない。」
日本政府が国連特別報告者および国連人権システムを無視するような態度を続けることは、日本にとっても、日本国民にとっても非常に問題だと思います。
最後に
「特別報告者や条約機関は誰のために勧告を書くのか。ハント教授は『建前は加盟国政府に向けてだが、実質的にはその国の市民や野党がそれを使って政府に実施させるために書いているのだ』」(p. 94)
日本国憲法にも、「基本的人権の尊重」だけでなく、第十二条 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」とあります。私たち国民が、しっかりと日本国憲法と国際人権を認識し、政府に人権の尊重に沿った政策、決定を実施するよう動かし、私たちの人権を守る、すなわち、泣き寝入りして、政府になかったことにさせないよう、不断の努力をしていかなければならないのだと強く思います。
『武器としての国際人権』には、「武器」として他国で使用される具体的事例も多々紹介されていますので、ぜひ一読し、行動の参考にしてください。
関連サイト:
国内避難民の人権に関する国連特別報告者による訪日調査を実現する会
https://ceciliajimenezamary.livedoor.blog/
ブログの読破、お疲れ様でした。 お腹が減ったかも? |