2018/09/11

 

9月11日に・・・

今日は9月11日です。2001年9月11日のアメリカのいわゆる同時多発テロ事件と、10月8日のアフガニスタン空爆から続く対テロ戦争がなければ、私がこのようにブログをつづり、何かを発信するということはなかったと思います。

「花と爆弾」を読む
アフガニスタンの少年
それまではただの海外ニュースオタクな大学英語教員で、とっても狭い研究分野に没頭していれば、ある意味満足していたわけですが、何の罪もないアフガニスタンの子どもたちが戦争によって、手足を失い、家族を失い、命を失っていく・・・それも、対テロ戦争という世界中の喝采の中・・・それに耐えきれなくなって、微力ながら、2004年3月に「花と爆弾」というチャリティ・バイリンガル詩画集を世に問うたことから、人生が大きく変わりました。

「無駄なことを・・・」と言われることもありました。確かに、今もなおアフガニスタンの治安は悪く、援助もままならない状態となっています。「無駄なこと」なのでしょうが、おかしなことはおかしいと行動したことは、私にとってはほんとうに貴重なことだったと実感しています。

実を言うと、この活動を始めるまで、私は人間不信で、世の中は損得で動く人ばかりだと思っていました。でも、詩画集を出したとたん、見ず知らずの多くの人が共感してくれて、一緒に動いてくれました。世の中には損得ではなく、他人のため、平和のため、愛で動く人がこんなにたくさんいるんだということを、私に教えてくれました。

あの日から17年。哀しい別れもたくさんありましたが、かけがえのない出会いもたくさんありました。この出会いは、アフガニスタン、イラク、シリア・・・戦争で散っていったあの子どもたちが、私に授けてくれたものだと思っています。

私の夢は、「平和になったアフガニスタンを一観光客として旅行すること」
その日が訪れることをこの17年間ずっと切望し続けています。



写真は、「英語の教科書に」とアフガニスタンの孤児院に「花と爆弾」を配ってくれた、宝塚・アフガニスタン友好協会の西垣敬子さんが2004年に撮ってくれた一枚と、西垣さんのお気に入りのアフガニスタンの少女の写真です。

宝塚・アフガニスタン友好協会のサイトを飾っていた写真

「花と爆弾-もう、戦争の暴力はやめようよ-



2018/08/15

 

彼らに心地よい物語

8月15日は「終戦の日」ということになっています。1945年の8月15日から73年となる今日、原爆と戦争の終結について考えてみたいと思います。

いわゆる太平洋戦争の終結は、「広島、長崎への2発の原爆がもたらした」との見方が日米双方によって語られてきた感がありますが、どうなのでしょう?
あの8月を迎える以前に、日本全国の大空襲で首都東京はもちろんのこと、200以上の地方都市が壊滅・・・このような状態の国に、原爆など必要だったのか?との声も近年挙がっていますが、「原爆が戦争終結を早めた」との考えは、まだまだ支配的でしょう。
それはなぜなのか?アメリカの核問題研究者のウォード・ウィルソン氏の説明を、田井中雅人著『核に縛られる日本』より引用します。*1


「原爆は日米双方に心地よい物語だった。考えとは、それが事実であれば持続する。また、残念ながら、それが真実でなくても、心地よいものであれば持続する。」

 ウィルソン氏は、当時の天皇周辺の立場に立って考えている。国を悲惨な戦争に導き、経済は破綻。都市の8割は米軍の戦略爆撃で焼かれた。日本軍は非難され、次々と敗北を喫した。食糧不足に陥りつつある。戦争は大惨事であり、さらに悪いことには、事態がどれほど悪いかについて国民に嘘をついてきた。降伏の知らせに国民はショックを受けるだろう。大失敗を認めるのか。それとも、誰もが予測しなかった敵の素晴らしい科学的成果による損害を非難するのか。敗戦を原爆のせいにして、すべての失敗や判断の誤りを隠してしまえば、責任の負担や軍人への追求も不要だ。(pp.106-107)


米国においては、8月9日のソ連の参戦ではなく2発の原爆が戦争を終わらせたことにしてこそ、国民にも秘密の内に20億ドルを費やしたマンハッタン計画が無駄ではなかったと主張できる、という日米双方にとっての心地よい物語。

また、同書の中で、政治学者の白井聡著『永続敗戦論』の次のような言葉が引用されています。

「核攻撃は、戦況の加速度的悪化を背景に押しとどめがたい革新の動きが天皇制国家の支配層を包囲しつつあることが明白になってくるなかで、国体が逆転勝利を収めうる契機としてとらえられたのである。その意味で、日米の共犯関係を基礎とする戦後の国体は、広島・長崎においてすでに起動していた。」(同書:p.108)


日米支配層にとって、原爆戦争終結神話はお互いの保身のために役立った。それは特に、国土を焦土と化したという惨状の責任を負わされるはずだった軍部、そして革新勢力を恐れていた天皇、財界にとって、奇跡的好都合だったのかもしれません。


本来なら国民に非難され、失敗の責任をとるはずの支配者たちが、戦後アメリカの庇護のもと、相変わらず日本を支配していることは、今も残る天皇制のみならず、戦争責任者たちの孫やひ孫が権力を握る政界、戦前と変わらぬ財閥が軍需産業を握り支配する財界を見れば明らかでしょう。


日本中を焼夷弾で焼き尽くし、実験としか思えない核爆弾投下により一瞬にして何十万人という国民を殺した米国と、保身のためにあっさりと手を組んで、今も日本を支配する権力者たち。彼らが忠誠を誓うのは、日本国民か米国か?


彼らにとっての「心地よい物語」を私たちが受け入れている限り、私たちは焼夷弾で逃げまどい、核の熱線によって焼かれた人々と同じ立場にいるのではないでしょうか?
それは「日米安保」という神話のもとアメリカの戦争に巻き込まれることかもしれないし、「原子力は安全です」という神話によって、「これぐらいの被ばくは大丈夫です」と放射線が飛び交う国土に住まわされることかもしれません。*2


焼夷弾で焼かれること、放射線をばらまかれて被ばくすること・・・そして、誰も責任はとらない・・・。今と戦中とどんな違いがあるのでしょう?


「物語に長けたものが世界を制する」とホピ族の格言にあります。
私たちは「彼らの物語」ではなく、キノコ雲の下の、焼夷弾の火の海の、そして放射線に晒される私たちひとりひとりの物語を根気強く紡いでいかなくてはならないと思います。
「彼らにとって心地よい物語」に殺されないために。



*1 『核に縛られる日本』田井中雅人著 角川新書 2017年刊

*2 当ブログ:Words for Peace 8月5日思うこと
http://flowersandbombs.blogspot.com/2018/08/



追記:
先日、東京大空襲に関する記者座談会の記事を読みました。そこでは、あの大空襲で焼かれなかった所が考察されていました。
あの大空襲で下町が焼かれて一晩にして10万人が殺されたことは知っていましたが、どこが焼かれなかったか?とは考えたことがなかったと思い、ちょっと調べてみました。記事に書いてあったとおり、皇居や丸の内は焼かれておらず、東京の地理はあまり詳しくないのですが、旧日本軍の施設のあたりも焼かれなかったようです。

「ハーグ陸戦条約・第25条:防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない。」は、軍事施設以外の住宅などへの攻撃は禁止していますが、下町は焼いて、軍の施設はターゲットから外していたとなると・・・その裏にどんな思惑が米軍にあったのか?

その理由を下記の座談会は探っていますが、私はまだそれが当たっているのかどうなのかは判断しかねています。
  ↓
■記者座談会 語れなかった東京大空襲の真実-首都圏制圧のための大虐殺 130回で25万人殺傷
長周新聞2015年10月2日
https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/1134

実際どこが焼かれなかったのかは、こちらの資料が参考になると思います。
 ↓
「戦争証言アーカイブス」古地図で見る東京大空襲
https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/special/tokyodaikushu/

夏の庭



2018/08/05

 

8月5日に思うこと

明日、8月6日は広島原爆の日。73年前の1945年、人類史上初めて核爆弾が戦争で使用され、人々が暮らす街が焼き尽くされ、放射能で汚染された日です。今、私は73年前の8月5日を生きている気がしています。その理由は・・・。

原爆と日本人
原爆投下より1年前の1944年9月。
「原子爆弾が完成したら日本人に使用する」と、米国大統領のルーズベルトと、英国首相のチャーチルが極秘に会談し、合意文書を交わしていたことを、田井中雅人朝日新聞記者の著書『核に縛られる日本』で知りました。*1

この当時は、まだナチス・ドイツ軍と連合国軍の戦いは続いていましたが、「原爆投下は日本」と決められていたことになります。1945年の8月5日を生きていた当時の日本人は何も知る術もなく、新兵器の実験対象にされていたのです。

敗戦国となった日本を占領した連合国の中心である米軍は、実験検証を続けます。
広島原爆投下直後からヒバクシャの治療に当たってこられた肥田舜太郎医師が講演会でこのようなことをおっしゃっていました。

「戦後、マッカーサーが日本にやってきて、いろいろと日本人に『してはならないことを』ずらずらと発表した。彼らは賢いからそんなことを書面になんて残さない、口頭で発表するだけです。その中で私が一番許せないのは『原爆によってもたらされたものはすべて米軍の機密であるから、一切公表してはならない。医師は治療をしても良いが、それを他の医師と話し合ったり、論文に発表したり、研究してはならない』というものです。あの頃からしっかり研究ができていれば・・・と悔やまれてなりません。」*2

米原爆傷害調査委員会(ABCC)が治療を原則行わず、研究対象として被爆者を扱ったことはすでに知られていますが*3、極東という他の連合国の目が行き届かない日本を占領下におき、原子爆弾という新兵器の威力やその放射能の影響に関する研究を続ける・・・・米軍にとっては理想的な環境だったことでしょう。


原発事故と日本人
さて、敗戦から73年。日本は今でも米国にとって、または米国が(を?)主導する原子力産業にとって、理想的な国なのではないかと思います。福島第一原発事故という人類史上最悪とも言える原発事故が起き、広範な国土が放射能汚染されたにもかかわらず、何事もなかったかのように空間線量で年間20ミリシーベルト以下の被ばくならば「問題ない」と人々を住まわせ、8000ベクレル/kg以下の放射性汚染土や廃棄物も「問題ない」と公共事業や牧草にすき込む形で再利用して、全国にばらまくという政策をとる国。放射性廃棄物の最終処理を厳重保管ではなく「ばらまき」という形で処理できる国です。*4

ご存じのとおり、一般人の被ばく限度は年間1ミリシーベルトであり、また原発敷地内では、100ベクレル/kg以上の廃棄物は、低レベル放射性廃棄物として厳重管理されています。現在、進められている環境省の除去土壌再生利用実証事業は、放射性物質は拡散せず厳重保管という原則から大きく逸脱し、環境汚染以外の何ものでもありません。


核のゴミと日本人
どうしてこのようなことが、国民に広く知らされないままに進んでいくのか?私は今、1945年8月5日の日本人と同じ境遇にいるような気がしてなりません。
もしかして、この国は、核のゴミ捨て場として決められているのではないか?今後世界中の原発が廃炉を迎える中、8000ベクレル/kg以下に希釈してしまえば、一般ゴミとして捨てられる日本。既に、仏ヴェオリアのアントワーヌ・フレロ最高経営責任者(CEO)は日本経済新聞記者に、放射線量が低いごみの処理事業を日本で始める計画を明らかにしています。*5


原発事故で汚染されてしまった極東の島国を、世界の核のゴミ捨て場にしてしまおう。。。現在のルーズベルトとチャーチルが極秘に合意していても不思議ではない気がします。
基本的人権を尊ぶ憲法を蹂躙する政権を許し、国会が侮辱され、司法も官僚も人事で操作され、ジャーナリズムが危機に瀕しているこの国は、安易なナショナリズムを煽って、「日本を守る」と為政者に言わせておけば、核のゴミ場にでもなんにでもできると、彼らは思っているのかもしれません。


2018年8月5日。これが杞憂に終わることを願っています。



*注一覧

*1 『核に縛られる日本』田井中雅人著 角川新書 2017年刊

*2 肥田舜太郎医師のお話
ブログ:Words for Peace 2011年8月29日
http://flowersandbombs.blogspot.com/2011/08/

*3 被爆者に謝罪へ ABCC時代、治療せず研究
毎日新聞2017年6月17日
https://mainichi.jp/articles/20170617/k00/00e/040/305000c

*4
■南三陸町「汚染牧草」8月下旬すき込み開始〈宮城〉
仙台放送2018/07/30(月)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180730-00010001-oxv-l04
「すき込み試験を行うのは町内に保管された汚染牧草のうち、1キロあたり400ベクレル以下の放射性物質を含む牧草約2トンです」
このような実証実験が行われている根拠が環境省の政策にあります。
      ↓
「中間貯蔵開始後30年以内の県外での最終処分に向けて、
再生資材化した除去土壌の安全な利用を段階的に進めるため・・・」
・「除去土壌再生利用実証事業について・資料3」より抜粋
http://josen.env.go.jp/chukanchozou/facility/effort/investigative_commission/pdf/proceedings_180329_03.pdf

また、8000/kg以下の放射性廃棄物を一般ゴミとして処分する方針をしめす環境省のサイト「よくある質問」もリンクします。
http://shiteihaiki.env.go.jp/faq/


*5 仏ヴェオリア、日本で低レベル放射性廃棄物処理
日経新聞 2016/4/16
https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM15H7E_V10C16A4MM8000/



追記:暗澹たる未来を想像させる記事になってしまいましたが、この未来を変えることができるのは、日本に住む私たちです。諦めず、これ以上放射能で国土を汚染されない政策を求めて、行動していきましょう。


2018/07/31

 

原発事故被害者の方たちとのつながり

5月から7月にかけて、原発事故による被害者の方たちと強くつながる機会をたくさん頂きました。facebookへの投稿記事をまとめる形で、当ブログに掲載いたします。


福島・浪江町の
今野寿美雄さん
5月23日の福島・浪江町の今野寿美雄さんのお話し会には、平日の夜にもかかわらず、たくさんの方が参加してくれて、とても多彩で賑やかな会になりました。


お話しの内容はほんとうに深刻。最初にお話しして下さった福島の帰還困難区域から兵庫県に避難されている菅野みずえさんは写真を提示しながら、福島の様子を紹介してくださいましたが、180年前に建てられた由緒正しいご自宅が放射能に汚染され、泥棒に荒らされ、除染しても汚染はなくならず・・・自分の家がなすすべもなく朽ち果てていく、それも原発事故のせいで・・・いたたまれません。

今野寿美雄さんのお話しでは、今野さんが震災以前は原発作業員だったので、原発内で低レベル放射性廃棄物になる基準である100ベクレル/kgが、今や食べ物の基準に使われているのはおかしい。また、菅野さんが原発事故後にスクリーニングでカウントされた1万cpm(後ほど10万cpmであったことが判明)という値は、原発敷地内から出してはいけない基準値180cpmからは考えられないほどの被ばくを受けたということなど、原発事故後に日本の環境にまき散らされた放射性物質がどれほど桁違いというか、事故前では考えられないほど酷いものだということを、改めて認識しました。

また、福島第一原発で鉄塔に亀裂があって排気筒が心配というような記事を1,2年前だったかに読んだ覚えがありましたが、その排気筒というのは、事故時のベントのせいで200シーベルト(ミリシーベルトじゃないですよ。即死決定の値です!)もの汚染で、鉄塔の修理も出来ない状況。この排気筒が、もしも海側に倒れたら、2号機の使用済み燃料プールを破壊し、大惨事となる可能性が・・・。

原発事故から7年が経って、ほとんと報道されなくなった福島第一原発ですが、私たちはまだ、原子力緊急事態宣言発令中の国にいることを肝に銘じなければなりません。

もちろん、若狭湾で稼働中の原発が事故を起こせば、菅野さんや今野さんが経験されたこと以上の深刻な事態が近畿を襲うでしょう。

皆で、再稼働をやめ、原発をやめるため、自治体、国を動かしていかなければと強く思いました。


6月27日。福島県いわき市で子どもを守るための活動を続けるママさんたちの代表、ちばゆみさんの講演会。私は、食料環境セミナーさん主催の午前の講演会と、夜のさよなら原発神戸アクションのメンバーとのゆみさんを囲む会まで、朝の10時30分から夜の11時まで、ご一緒させていただきました。

ほんとうだったら行政が率先して行わなければならない校庭や園庭の空間線量や土壌汚染の計測をママたちで地道に続け、データーを蓄積することで、いわき市の教育委員会に認められたこと。楽しいお茶会を続けることで、ママたちとのつながりをつくり続け、そのつながりをもとに、モニタリングポスト撤去中止の要請をサポートし、いわき市だけでなく、福島県の多くの市町村で展開中のこと。

私も何度か、安定ヨウ素剤の事前配布を求めて兵庫県に要請行動をしたことがあるので、ゆみさんの表にはでない苦労を想像すると、ほんとうに並大抵のことではないと思います。

それを福島県で、「風評被害を助長するな」との声が吹き荒れる中、7年以上も続けてこられた・・・それが、今、福島県のメディアや議会が一緒になってモニタリングポスト撤去中止に動いてくれている。

「子どもたちを守るために」その一点で動き続けてきたゆみさんの思いが、多くの人を動かすことになったのだと、一日ご一緒して、ほんとうに実感しました。
ゆみさん、子どもたちのために、ほんとうにありがとう!

下の写真は、講演会に参加してくれていた福島県から関西に避難されて関西賠償訴訟原告団代表の森松さんとちばゆみさんとのツーショット。立場は違うけれど、子どもたちを被ばくから守るために一生懸命なふたりのママがつながってくれました。被害者が分断されるのではなく、一緒になって、国や県を動かしていく・・・私たちもその輪に加わって、子どもたち、そして私たちの未来を守るために、動き続けたいと、勇気をもらえた場面でした。



7月14日。元町で田井中雅人朝日新聞記者の講演会に参加。田井中さんは、核問題を追っている記者さんで、311の時の米軍のトモダチ作戦に参加したことで被ばくし、健康を害し命を落としていっている米兵たちの裁判のことや、核兵器禁止条約の動きなどにとても詳しい方。
それにメディアの方だから、世の中の流れも見ていらっしゃる。最後に少し個人的にお話しさせてもらったときの田井中さんの言葉がずしんときた。
「来年になると、オリンピックの前年になるから、原発事故の話などしても、「いつまで言ってんだ」という空気になっているかもしれない。」

きっとそうなるのだろう。
どうやって原発と被ばくから暮らしと健康を守り、被害に遭われた方たちのお手伝いをしていくか・・・、そのやり方をじっくり考えなければならないと改めて思う。

写真は、田井中さんの著書と、今日のレジュメです。


7月22日。「原発の町を追われて」上映会&シェアリング。
一番実感したのは、「被ばくしたくない」「自分の健康を守りたい」という「生きもの」として当然の行動が、許されない社会なんだということ。

双葉町民を連れて埼玉に避難した当時の井戸川双葉町長も、そして、水戸から関西に避難されたこられて、昨日会場でその体験を語ってくれたOさんも、「被ばくさせられたくない」が原点だと感じました。

どうしてそれが許されないのか・・・原発・核というビジネスで潤っている人たち、また「経済」という最終的には1%の人たちの利益になるシステムにとって、都合が悪いからでしょう。

被ばくさせられる弱い立場の人たちを、県内では避難困難区域だのなんだの、全国的には「放射能汚染は福島の問題だ」のように線引きをして分断し、諍いの中で疲弊させ、骨抜きにしてしまう彼らのやり方。

それに翻弄されるのではなく、「被ばくしたくない」「このような事態を招いた者に責任をとらせる」その原点に立って、日本全国で皆が自分のこととして一緒になれば、この日本も変えられるのに・・・そう強く感じました。

写真は、避難者さんたちが起こしている原発賠償訴訟をサポートするポカポカサポートチームさんたちと。




2018/03/21

 

避難の権利のために声を上げる女性たち


2011年3月11日の東日本大震災に端を発した東京電力福島第一原発事故より7年となる3月。
環境中に放出された放射性物質から、着の身着のままに逃げざるを得なかった女性たちが、その責任の所在と賠償、そしてなにより避難の権利を求めて立ち上がり、その成果が実を結んだ3月となりました。
もちろん、これはまだまだ入り口にしかすぎず、闘いは続きますが、彼女たち3月を私のメールマガジンやfacebookの投稿からまとめてみました。

京都訴訟・原告の一部勝訴を伝える京都新聞


3月15日、京都地裁に行きました。
拙メールマガジン「7世代に思いをはせて」2月3日号「給水車」でご紹介した、福島県中通りから京都府に「自主避難」された女性も原告となった原発賠償京都訴訟の判決が言い渡される日だったからです。
結果は、原告の訴えがほぼ認められた勝訴。
賠償額が低いこと、一部の原告が訴えを却下されたことなど、納得できない点もありましたが、
多くの「自主避難者」の原告の訴えが認められ、政府が定める「避難指示区域」以外の地域からの避難も、「相当の理由がある」と裁判所が認めました。

判決の後の報告集会では、
「避難したことが正しかったのか、ずっと悩んでいたけれど、これで自分の選択は正しかったのだと思えます。」と涙する女性に、その方の大学生となるお嬢さん(震災当時は中学生)が、
「親が私を守ってくれたことに、ほんとうに感謝しています。これからは、私たち子どもが親を支えていかなくては」と語ってくれました。
また、これまで大人も子どもも一律の被ばく線量でしか語られていなかった中、妊婦や子どもにもたらす被ばくの影響について考慮されたことも、ほんとうに意義のあることでした。

現在国は、年間20ミリシーベルト以下の放射線量の地域への住民の帰還を奨めています。
これは、一般人の年間被ばく線量限度1ミリシーベルトの20倍もの被ばくを、国が政策として、住民に強いているということです。

京都地裁の判決では、この国の政策にも疑問を呈したことになり、現在の住民帰還政策を撤回させ、
今後、避難指示区域外においても、高線量の地域への放射線防護の対策が進められるきっかけになればと期待します。

報告集会の後、原告となっていた「給水車」の女性と手を取り合って、勝利を喜びました。
ほんとうにつらい7年だったと思います。そして、これから舞台は大阪高等裁判所へと移り、闘いは続くことでしょう。
これは、彼女たちだけの闘いではありません。
原発が林立する日本列島に住む私たちは、明日にでも故郷を放射能で汚染され、そこに住むことを強いられるかも知れないのです。
そのような私たちに、避難の権利を勝ち取ってくれた原告の皆さんに心から感謝し、これからも一緒に闘っていきたいと思います。

++ 関連ニュース ++
京都、東京と避難の権利が認められました
■<原発避難訴訟>国と東電の賠償責任認める 京都地裁
毎日新聞2018年3月15日(木)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl…
■東京地裁も国と東電に賠償命令 国は4例目
毎日新聞2018年3月16日
https://mainichi.jp/articles/20180316/k00/00e/040/267000c

++ 関連メルマガ ++
「7世代に思いをはせて」【第486号】給水車
http://archives.mag2.com/0000273399/20180203100000000.html

「7世代に思いをはせて」
【第492号】避難の権利
http://archives.mag2.com/0000273399/20180317100000000.html


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原賠ひょうご訴訟の報告集会

3月19日、原発賠償ひょうご訴訟の期日でした。
小雨降る中、たくさんの支援者さんと、京都訴訟、大阪訴訟の原告さんたちも駆け付けてくださいました。今日の裁判の原告側の準備書面では、不溶性のセシウム・ボールという新たな科学的見地も示され、これまでの生物的半減期の考え方が崩れることを指摘した画期的なものだったと思います。

写真は、裁判後の報告集会の様子。15日に一部勝訴した京都訴訟の原告さんたちが、自分たちの体験をふまえ、ひょうごの原告さんたちにアドバイスやエールを送ってくれました。訴訟サポート用につくられたてぬぐいを紹介してくれたのは大阪の関西訴訟の原告さん。日本全国で原賠訴訟が行われていますので、こうやって繫がっていくことがとても大切だと思いました。

写真は、国会での院内集会のお知らせと、次回の関西訴訟の期日のお知らせチラシ。それから今日の神戸地裁で読み上げられたセシウム・ボールについての書面です。



次回の原発賠償ひょうご訴訟の期日などのお知らせは、下記のリンクをご覧ください。
詳細:ぽかぽか☆サポートチーム https://pokapoka-hyogo.weebly.com/


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3月19日夜、原発賠償関西訴訟原告団代表の森松明希子さんが、ジュネーブの国連人権理事会で、福島第一原発事故による被ばくの現状をスピーチされました。
日本政府や東京電力の対応により、無用な被ばくをさせられたこと、現在も更なる被ばくが続いていること、福島や東日本の人々を守ってくださいと、国際社会に訴えられました。
また、スピーチ後のインタビューには、「平和な暮らしは目に見える戦争などの惨禍で失われるだけでないというのを原子力災害を通じてわたしたちは日本で経験したので、世界の共通認識にしてほしい」と応えられました。(引用は下記NHKニュースより。
国連人権理事会で原発事故避難者が支援訴え 3月20日
 

「原爆だけでなく、原発も世界からなくすために発言する」と、先月の集会でおっしゃっていたことを、直ちに実行に移されて、ほんとうに感動します。(参照:当ブログ 東日本大震災7年を来月にひかえて) 

森松さんのスピーチは、日本語字幕付きで下記リンクよりご覧頂けます。
3月19日 スイス・ジュネーブ 国連人権理事会での森松明希子さんの演説




今年も三宮のマルイ前でキャンドルを灯しました

311神戸からの祈り。
ONE OK ROCKの"Be the light"のギターリフをBGMに、過去に起きたつらい事を乗りこえて、明るい未来をつくろうと、福島と神戸がつながる祈りの場となりました。

" Yesterday's night turns to light
Tomorrow's night returns to light
Be the light
過去の闇は光りになり、未来の闇は光にもどる
その光になれ”
「満月の夕」を歌ってくれたヤマトースミスさん、福島の若者たちとのスカイプ交流の上園さん、神戸の借り上げ復興住宅問題をわかりやすく紙芝居にしてくれた英恵ちゃん、福島からの避難者で、つらい体験や思いを共有してくださったMさんに感謝。
私はMC担当でした。
私のリクエストでMC中もずっとBe the lightのリフをギターで弾いてくれたHくんと、
集まってくださったみなさまに感謝しています♪
ツイキャス録画もあります☆
http://twitcasting.tv/kiyosiro/movie/447966582


2018/02/28

 

東日本大震災7年を来月にひかえて



2月10日の午後、「夢・幽霊・死生観からの社会構造-東日本大震災7年を迎えて-」と題する金菱 清先生(東北学院大学)の講演会で長田区の御蔵へ行きました。

津波の犠牲者と思われる幽霊の話は、写真に紹介しているタクシーの運転手さんの話がよく知られていますが、私も東北で慰霊活動をされている神戸の僧侶の方から幽霊の話を聞いたことがあり、「幽霊でもいいから子どもに会いたい」と言って、その幽霊が出るという場所に通う親御さんたちのことを聞いていました。

金菱先生はこの7年間の遺族の皆さんの声の収集と調査を体系的にお話しくださいましたが、そこから思うのは「死者と生きている自分を分断したくない」という死者への愛情。幽霊や夢として、今自分が生きている空間、時間に、死者も包摂できることが、残された者にとって、大きな救いになるのではと思いました。

現代社会は、この物質的世界で物質を纏っている物だけが存在していることになっていますから、死というものが、自分と愛する者を大きく分断してしまう構造になっている・・・それがより一層残された者を孤独にさせてしまうのかもしれません。

夢に救われることってありますよね?
私も父の四十九日の後、父が夢に出てきて、とてもきれいな花と透明なイチゴをくれました。きっと浄土にたどり着いて、素敵なものに囲まれているから、私にも分けにきてくれたんだなと思うと、とても安心しました。

昔はこういうことがもっと気軽に皆と話せて、救われていたのじゃないかなと思います。

写真は、タクシーの運転手さんの記事と、金菱先生の著作の数々です。じっくり読んでみたいものばかりです。



      ***   ***   ***

  

川崎哲さん

ノーベル平和賞

同じく2月10日の夜、ノーベル平和賞を受賞されたICANの川崎哲さんの講演会に参加しました。
今回の受賞理由である核兵器禁止条約の成立に、どれだけ広島、長崎の被爆者の方々の存在が大きな意味を持っていたか、すなわち被爆者の方が悲惨な体験を語ってくれたことで、核兵器の非人道性を知らしめてくれたからこそ可能になったことだったと川崎さんは話してくださいました。

後半は主催の東日本大震災避難者の会(Thanks & Dream)代表の森松明希子さんとのトークで、その中で森松さんがおっしゃったことに、とても感銘を受けました。

「広島・長崎の被爆者の方たちが語ってくれたことで核兵器禁止条約ができたということなら、原発被ばく者の私たちが世界に発信していって、「原子力の平和利用」を禁止させたい。」

今回の核兵器禁止条約では、「平和的原子力利用は各国の奪いがたい権利で ある」と明記されています。しかし、原発事故の悲惨さを世界に語ることによって、それを変えていきたい・・・

私はその発想と勇気に、とても感動しました。

私も森松さんらに微力ながらも協力させてもらって、
原発を日本からも世界からも一掃するぞ~~と大いなるビジョンを胸に、帰路につきました(*^_^*)


写真は、森松さん、川崎さん、そして世界のヒバクシャについて報告されたチェイス洋子さん。カザフスタンやマーシャル諸島など、世界中に核実験やウラン鉱山によるヒバクシャが存在することに、会場から驚きの声があがりました。

森松明希子さん



チェイス洋子さん












【追記】
そして、「原発被ばく者の私たちが世界に発信する」とおっしゃっていた森松明希子さんが、3月にジュネーブでの国連人権理事会の本会議で、原発避難者の実態をスピーチするとのニュースが!有言実行の素晴らしさに感銘を受けております。

■原発事故の避難者 国連人権理事会に初出席へ 支援継続を訴え
NHKニュース 2018年2月24日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180224/k10011341521000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_001


2017/09/28

 

アイスランドの総選挙が教えてくれること

アイスランドの国会議事堂
アルシング

日本でもこの秋は、降って湧いたような解散総選挙で慌ただしいばかりですが、去年の10月に総選挙があったばかりのアイスランドでも、突然10月の総選挙が決まりました。



ことの発端は、連立政権の崩壊。昨年の総選挙で各政党の議席数が拮抗し、3党合意でなんとか連立政権を維持していた独立党のベネディクトソン首相のスキャンダルでした。

日本の首相も3月から森友、加計とスキャンダルが続いていますが、アイスランドの首相のスキャンダルは、首相の父親が、児童に対する性犯罪で有罪となった旧友の犯罪歴を抹消するため、推薦状を書いていたこと。それを首相率いる独立党が隠ぺいを図ったことに「明るい未来」が反発し、連立政権から離脱したため、ベネディクトソン政権は崩壊したのです。

そして、総選挙が決まりましたが、これは「首相の専権事項」などで決まったわけではありません。政権崩壊(すなわち国会の議席の過半数を政権が有していない)を受けて、新しい連立政権を組めないかを各政党と協議した末、解散総選挙を皆が選択し、それを大統領に報告して、ようやく10月28日に総選挙をするということが決まりました。また、大統領の助言により、総選挙までは国会を継続し、国会議員の職務を果たすことになりました。


ここまでお読みになって、いかが思われますか?
私はどうしても日本と比べてしまいます。


日本では、首相夫人が名誉校長である小学校への国有地売却に、また首相自身が友人の大学経営に便宜を図ったのではないか、またその問題に関する書類などを財務省など関係省庁が隠蔽しているのではないかと、客観的に見るとたいへん疑わしい事態が続いていますが、連立を組む公明党は問題視することなく、傍観者のような対応を続けています。

森友、加計学園問題で支持率が急落する中、糾弾されていた大臣たちを隠すように行われた内閣改造。憲法に則って野党議員から要求されていた臨時国会の開催は拒み続け、少し世間がこの問題を「忘れたかな」と思った矢先に、「総理の専権」による臨時国会召集冒頭の解散と総選挙。国民の負託を受けた国会議員が議論する国権の最高機関の国会を、なんだと思っているのでしょう?

また、その国会議員も、国民から負託された政策や理念よりも、議員という地位に執着しているとしか言えない言動ばかりです。当選するために、政党を転々とするばかりでなく、党までも出来たり、消えたり。これは議員の資質を問うだけで解決する問題ではなく、小選挙区制、政党助成金、選挙供託金など、選挙をとりまく状況にも問題があるとは思いますが、有権者にとっては、どのような政策を支持して投票していいのかわからない状況です。これで、民主主義、国民主権と言えるのでしょうか?


話をアイスランドに戻します。
さて、10月の総選挙。その一報を聞いた9月19日、私の目には3月に訪問した海賊党の皆さんの顔が浮かびました。次の選挙に備えて、若者や低所得者のための政策案を真剣に話し合っていた海賊党の躍進と、海賊党の創立者のひとりで国会議員のビルギッタさんの首相就任を期待しました。しかし、その数日後、そのビルギッタさんが10月の総選挙には出馬しないと表明したことを知りました。

なぜ出馬しないのか?インタビュー記事によりますと、そもそも初めて2009年に国会議員に当選した時、「国会議員は2期だけ」と表明していたそうです。しかし、2期目の途中で前首相の「パナマ文書」スキャンダルによる辞任、総選挙となり、2期目を全うするためにと3回目の出馬。しかし、次回は4回目の出馬となるので、もう「約束は破れない」と国会から退き、しばらくは、政界で自分の経験してきたことなどを皆と共有するために著作に励みたいとのこと。


この決断は、ビルギッタさんの人気を考えれば、海賊党の支持率にも影響を与えるのではないか、またアイスランドの国民にとっても大きな損失ではないかと思いますが、それがアイスランドの政治家の発言の重みのようです。「2期しかしない」と表明したことは、よほどの理由がない限りは守らなければ、人々の信頼を得ることはできないということでしょう。

政治家の言葉が信じられなくなれば、国民は何を信じて投票すればいいのでしょうか?民主主義の根幹は、政治家と国民の信頼。国民の声を国会に届けるのが国会議員の務めである限り、「この人は信用できない。国会に送り込んでも何を言い出すかわからない。」と思われたら、おしまいなのだということを、ビルギッタさんの姿勢から教えられました。


さて、日本の10月の総選挙。
当選の後、どんな政策を貫く覚悟があるのか・・・信頼できる候補者はいますか?
いなければ、誰がマシか、もしくは消去法でもいいから投票する。
そして、長期的には、信頼できる政治家を育てていく・・・民主主義の第1歩を、私たち国民が踏み出していかなければと思います。


++ 参考サイト  ++
■アイスランド首相、11月に解散総選挙へ
https://www.nna.jp/news/show/1663075

■Elections Confirmed for October 28th
http://icelandreview.com/news/2017/09/18/elections-confirmed-october-28th

■Iceland's "Pirate' Politician Won't Run After Government Collapses In Pedophilia Scandal
Birgitta Jónsdóttir became Iceland’s most famous parliamentarian after challenging the U.S. with WikiLeaks in 2010.
http://www.huffingtonpost.com/entry/iceland-birgitta_us_59be9811e4b02da0e142af1e?x8n

++ 関連ブログ ++
■アイスランドで見つけたもの
http://flowersandbombs.blogspot.jp/2017/07/

2017年3月海賊党本部で
ビルギッタさんと



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