2009/07/05

 

アフガニスタンな午後 in 宝塚

今日は、宝塚で開催されている、宝塚・アフガニスタン友好協会(TAFA)の写真報告展に行って来ました。「花と爆弾」でもずっと支援させてもらっているTAFAの活動。3年前に完成した大学の女子寮も順調に機能しているようでした。『花と爆弾』の本を英語のテキストとして寄贈させてもらった孤児院には、今回もパソコンが贈られたそうです。アフガニスタンでは、英語とパソコンができると就職に有利だそうで、孤児院を出た若者の中には、その能力がかわれ国連などに就職した人もいるそうですよ。

また、以前個人的に支援したアフガニスタンの少年ラファイ君の様子もわかって、とても嬉しかったです。
彼との縁は、彼がアシアナという芸術家支援のプロジェクトで描いた絵を私が購入させてもらったというものです。その後彼はアフガンの警察官になりましたが、今回私が購入した時の代金が彼に手渡されたそうで、4ヶ月分の給料にあたるその代金を手に、目を丸くして喜んでくれたそうです。

今でも彼の絵は、ベッドルームに飾っています♪

3時からは、TAFA代表の西垣敬子さんによるミニ講演会。
小さな会場でしたが、多くの方が参加されていました☆


アフガニスタンの名物、干しぶどうも振る舞われ、とっても充実した午後でした。

そうそう、ひとつ嬉しいお知らせが!
宝塚近辺にしか届きませんが、毎年出演させてもらっているFM宝塚の番組に、今年は西垣敬子さんと一緒に出演させてもらうことになりそうです。

いつも間接的にしかアフガニスタンのことをリスナーの方に伝えられなかったので、今年は西垣さんにたくさん話してもらおうと思います☆

放送日などの詳細は後日発表させていただきますね。



写真:絵を前にほほえむラファイ君。

2009/06/07

 
ペシャワール会からの号外

花と爆弾」でずっと支援させてもらっているペシャワール会から、鮮やかなカラー写真満載の号外の会報が送られてきました。ペシャワール会始まって以来2度目となる稀少な号外が伝えるものは、アフガニスタンの荒れ地を緑の大地へと変える灌漑用用水路完成間近の様子でした。穏やかに流れる用水路の水、その上をやわらかくそよぐ柳の緑。そして大地を覆う麦畑。。。あの荒れ地がここまで美しい農村地帯に生まれ変わろうとは!

用水路の建設が始まったのは2003年3月19日。アメリカによるイラク侵攻前日のことでした。それから6年。延べ55万人のアフガニスタンや日本人ワーカーが作業に従事し、総工費15億円は会費と寄付のみでまかなわれたそうです。

15億円の内の1万分の1ほどでも「花と爆弾」で皆様に託された寄付により、この大事業のお手伝いができたことをとても光栄に思うとともに、着工から完成までの長い年月を、遠く離れた日本から、インターネットや会報を通してだけでも、ずっと見守り続けることができたことに、わずかでもかかわることができたことに、深く感謝しています。

用水路の完成を目前にしての中村哲氏の言葉をご紹介しましょう。
「マルワリード(ペルシャ語で真珠)用水路建設事業は、全長24キロメートルの完成をもって、一つの区切りとなる。しかし、これは吾々の事業の終わりではない。『出産が終わる』と述べるのが正確である。現在、この用水路によって生活を立てる者は15万人を下らない。更に増え続けるだろう。」

「ともあれ、マルワリード用水路は、現地活動25年の『記念碑』だと言える。そこに込められた様々な思いと出来事をつづるのは自分の能力を超える。ただ、この命の流れが、絶えることなく続き、建設にかかわった全ての人々に心和むものを与えることを祈る。変転する殺伐な世界にあって、ここにこそ動かぬ平和がある。」
        (2009年5月27日発行「ペシャワール会報 号外」P.8)

中村先生、ペシャワール会のみなさん、そしてアフガニスタンのみなさん、ほんとうにありがとうございました。またひとつわたしの抱いた平和への願いが叶いました。そして、用水路が多くのアフガニスタンの人々に食料と和やかな未来をもたらす希望の糧となることを祈り、これからも小さいながらもできるだけの支援をさせてもらい、この平和を支える大事業にかかわり続けさせてもらいます。

ほんとうに、ほんとうに、ありがとう!

2009/05/19

 
断念の沼でカエルの合唱を聴きながら

辺見庸氏がコラム「水の透視画法」で、断念の沼のカエルたちについて書いていた。

「ものごとを突きつめて考えることを徒労と感じさせる悪水が断念の沼にはとどこおっている。怒りの表明を<どうせ、無意味さ>とせせら笑うカエルたちが断念の沼にはたくさん棲んでいる。考えを掘りさげ行動する経路を手もなく脱臼させ無力化させてしまう沼気が断念の沼からは絶えずわきのぼっている。」

私の心の中にも断念の沼はあって、カエルたちがケラケラと笑っている時もある。

今も続く、アフガニスタンとパキスタン国境でのタリバン掃討作戦。米軍やパキスタン軍の攻撃によって、命を落としていく子供たち。
封鎖されたガザにあって、イスラエルによる空爆にさらされ、また地上侵攻作戦によって目の前で家族を殺され、家を破壊された子供たち。

どんなにその不当性を訴えようと、「対テロ戦争」の名目の下に国際社会に黙認されてしまう子供たちの死、子供たちの苦しみ。

日本においても、政治家たちは「100年に一度の経済危機」などというスローガンの元に、「エコ・ポイント」などという美名を付けてみたり、わけのわからない定額給付金をばらまいたりして、企業と結託して大量消費社会を持続させるために、私たちの税金を食い散らかしている。

ほんとうは、もっと他に今必要なところに、そして未来の世代のために使われなければならない税金なのに。。。

「そんなことをいくら言っても何も変わらないよ」と、心の中のカエルが笑う。
ケラケラとした笑い声は、思考も言葉も飲み込んで、ただただ沼地に浮かぶ心地よさへと私を誘う。

無気力にぷかぷかと浮かぶ心地よさ・・・それに耽りたいと思ったことも多々あった。そして今でも時々誘惑されることも確か。

でもね、それがどんな喜びももたらしてくれないことも、もうわかっているんです。

あきらめることはいつでもできるから、
カエルたちの笑い声を、カエルの合唱として楽しみながら、
考えて、考えて、そして発言を続けていく・・・、
その方がやっぱり喜びが大きいのです。

辺見さんも、そう思ってられるのでしょう?

2009/05/03

 
豚インフルエンザと昔話

「大昔、動物がついにひとへの我慢を切らした。
動物を狩りに殺しても、その一部しか食べず、あとは腐るままにする。
ひとを生き延びさせるために犠牲になることに合意した動物たちに
感謝する心をなくし、
動物が少なくなっても狩りを続けたからだ。」

「そこで動物たちは対策を決めようと会議を開いた。
話し合いの末、ひとに病を送って懲らしめることにした。
鹿は関節痛やリューマチ、頭痛を、
鳥は腹痛を、と動物たちはさまざまな病をひとにもたらした。」



豚インフルエンザと呼ばれる新型インフルエンザが、
世界中で大流行となる兆しを見せています。

狂牛病、鳥インフルエンザ、そして今回の新型。。。
本来草食である牛に、乳の出がよくなるからと肉骨粉を与え、
効率がよいからと、鳥や豚を狭い狭いケージに囲い・・・、
そこから生まれたプリオンやウイルスが人間を襲う・・・。

動物由来の病のニュースを聞くたびに、
この昔話を思い出します。

私たち人間はこれらの病から逃れるためにどうすればいいのでしょう?

昔話は続きます。


「しかし、病にかかり苦しみだしたひとの姿に動物たちは情けを感じた。
そこで、一部のひとたちの夢に出て、病にかかった理由を告げ、
癒しをもたらす歌や踊りで、
薬となる植物の見分け方や心身の清め方を教えだした。」

「すでに送られた病からひとは逃れることはできないが、
動物に夢で習った歌を覚えている癒しびとの助けを借りれば、
ひとは病から立ち直ることができるようになった。」

「そして癒された人が狩りのしすぎを慎み、
死んでくれた動物を丁寧に扱い続ければ、病はぶり返さない。
 ひとは粗末に扱った動物から懲らしめとして病を送られ、
同じ動物から病を癒す術も授かったのだ。」
                   クリー族の伝説より



ただの昔話ですが、
現代の私たちに大切なことを伝えてくれている気がしてなりません。



*今回ご紹介した「クリー族の伝説」は
「アメリカ・インディアンの書物より賢い言葉」扶桑社に掲載されていたものから、
一部抜粋、編集したものです。
゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★

毎週土曜日発行の小橋かおるメールマガジン「7世代に思いをはせて」より

2009/04/25

 
マフマルバフはカメラを回す

原題は『ブッダは恥辱のあまり崩れ落ちた』。
邦題は『子供の情景』
19歳の少女、ハナ・マフマルバフ監督の映画を見てきました。

それにしても、今日の初日は大盛況!
補助席がでるほどでした。
こんなにたくさんの方にアフガニスタンの映画に関心を持ってもらえて、ほんとうに嬉しく思いました。


映画の方も、映像も美しかったし、主人公の少女が勇気と智恵にあふれていて、ほんとうに可愛らしかった。
映像に込めらているものもとても深くて、いろいろと考えさせられる作りになっていました。
19歳の監督なのに、その思慮深さと技術の高さに感銘をうけました。


ストーリーは、アフガニスタンの6歳の少女バクタイの学校へ行きたいとの願いから始まる小さな冒険。大人の社会を反映する様々な問題が、子供たちにも影を落としていきます。


監督のハナの父親は『カンダハール』で世界に名を知られた映画監督のモフセン・マフマルバフ。原題の『ブッダは恥辱のあまり崩れ落ちた』は、彼の著書『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱に崩れおちたのだ』からの引用です。


この映画の最初と最後は、あのバーミヤン石仏破壊のシーンが使われています。


モフセンは、2001年以前干ばつと飢餓により何百万人ものアフガニスタン人が命を落とし、故郷を追われたのに、国際社会はまったく関心を払わず、それをどうすることもできない思いにかられた石仏が己の非力さを恥じて崩れたのだという比喩を用いて、私たち人間の無関心を嘆きました。



思えば、私もその無関心を恥じて、「花と爆弾」を出版したのでした。

拙著を締めくくる短歌。

・降り注ぐ爆弾麦に変われよとマフマルバフはカメラを回す



アフガニスタンの現状は相変わらずで、父マフマルバフだけでなく、娘までもがカメラを回さなくてはならない・・・、かなりつらい現実ですが・・・


『子供の情景』サイトで、爆弾を本にというワンクリック・キャンペーンが実施されています。
ちょっと楽しい感じだから、ぜひご参加ください☆
「爆弾よりも本を」

2009/04/07

 


ありがとう、ネルソンさん

** **
みんな、あなたが来たのを知っている
森も、森を吹き抜ける風も
父なる山が、子どもたちに歓迎の歌を歌わせているのさ
みんな、ネルソンさんをこわがらない
ネルソンさんの心のやさしさを知っているからね
みんな歌っているよ「ネルソンさんはひとりぼっちじゃない」って

子鹿のアウィ・ウスディも
ウズラのミネ・リーも
カラスのカグーも歌いはじめたよ
「ネルソンさんは
やさしく、強く、勇気がいっぱい
だからけっしてひとりぼっちじゃないよ」
** **

『リトル・トリー』の詩を少し書き変えて、
ネルソンさんへのお見舞いのカードに書かせてもらった言葉です。


本当に苦しい人生だったことでしょう。
でも、やさしさと勇気で心を満たし、それを行動に移し、
みんなに愛された人生でもありました。


ネルソンさんのお嬢さんがおっしゃった言葉、
「なすべきことを果たした父は今は安らかに眠る」


ネルソンさん、安らかにお眠りください。
でも、いつまでも、森も動物も私たちも、
ずっとずっとネルソンさんを愛しています。





新聞報道などでご存じの方も多いと思いますが、3月25日にアレン・ネルソンさんが永眠されました。
闘病資金のための寄付への呼びかけにご協力いただきましたこと、心よりお礼申し上げます。
本日、アレン・ネルソン・ネットワーク世話人の平塚さんより、ネルソンさんのご葬儀の様子、寄付金の詳細などのご連絡を受けましたので、下記にてご紹介させていただきました。

「本当の戦争」を伝えてくれたネルソンさん。
ありがとう。あなたはほんとうに愛と勇気にあふれた人でした。
              合掌  2009年4月7日 小橋かおる



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ご縁の皆様へ(090407) アレンさんの死去 葬儀    
平塚淳次郎(ANN世話人代表)
       
 多発性骨髄腫で闘病中のアレンネルソンさんは、多くの人の祈りも空しく、3月25日(現地時間)に死去されました。61歳。日本の多くの新聞が報じるところとなりました。

葬儀参列報告
 葬儀は31日にニューヨーク市ブルックリンで行われました。日本人参加者は、28日急遽成田から飛んだ佐野明弘、嬉野京子と私の世話人三人及び、ニューヨーク在の比嘉良治氏(ロードアイランド大名誉教授)、石橋行受上人(日本山妙法寺)の合計五名でした。

 式は二部に別れ、第一部は午後4時から5時までトロイ街のウッドワード葬儀会館で遺族、友人50名出席のもとに、第二部はその後親族中心の十人余の内輪の集いとして行われました。いずれの場にも故人の希望に基づく仏式の祈りが近代都市の一角に自然に溶け込んでいました。

 第一部の式場で手渡されたリーフレット「アレンネルソンの思い出」の表を飾るのは大阪の米澤俊氏作油絵<アレン像>の縮小写真版 ― 優しい口元のオシャレなアレンの視線の先には・・・?
 進行役の 子息ショーンさん(39歳)が、幼くして出会った育ての親アレンさんへの回想から始まりました。 遺族や友人が次々と立って、故人の人柄を偲びます。アレンさんがその一員であるクエーカーの集会形式に則るものでした。実の娘ロビンさん(29歳)はエイズ研究でドクターコースを修了したばかりの、アレンさんによれば「勝気な」女性。病床を見舞うたびに泣きじゃくるばかりだったと聞いていましたが、この日は、「なすべきことを果たした父は今は安らかに眠る」と淡々と語りました。

その後私が指名されて、日本列島を平和行脚してくれたアレンさんへの感謝を伝え、最後に三宅信一氏の英文弔辞を読み上げました。― 1997年、来日二年目に矢臼別基地訪問をした直後に出された「貴方の息子アレンより」という故人の手紙を引用した後、「君をわが家族の一員として迎えたことを誇りに思う」と結ばれていました。矢臼別はそれ以来、沖縄と共に故人の年毎の巡礼の二大聖地となりました。最後の十五分間、真宗僧侶の佐野師の読経が鉦の音に和して会場に流れました。「一人ひとりが故人と向き合うひと時」でした。
 第二部の舞台はアレンさんが入院直前の数週間を過ごしたマクダナフ通りの石造り三階建ての一階の部屋。苦痛のうめき声で「アネッタの休息を妨げたくない」と、自分のベッドだけを二階からここに移した「最期の闘い」の場でした

 ギタリスト、アレンの写真を正面に据え、日本から届けられていた千羽鶴や寄せ書き、お見舞い状、弔辞が周りの本棚や壁を飾り、ろうそく、線香などの仏式調度と共に厳粛な中にも出席の人たちの気持ちを和ませる空間がありました。佐野、嬉野両氏がアネッタさんと相談しながら、前日までに準備したものでアネッタさんの説明を受けた遺族は感謝。読経する墨染めの佐野師の傍らに瞑想合掌する石橋上人の黄の衣がよきコントラストをなしていました。こらえきれなくなって嗚咽するアネッタさんの背をショーンさんが優しく撫でてあげるシーンがあり、師は蓮如上人の「白骨の書」を読み上げました。15世紀の日本の仏教指導者が自らの娘と妻を失った直後に同じく別離の悲嘆にくれる人に宛てた手紙であるという説明に、頷く人も・・・。私は第一部で聞いたロビンさんの想いと重ねていました。

 機会を得て、アレンさんに寄せる嬉野さんの思いを私から紹介、皆さん肯きながら聞いてくれました。因みに彼女は、海兵隊員ネルソン二等兵が駐留当時の沖縄に渡航、決死の報道を行った写真ジャーナリストで、30年後一人のアメリカ市民として沖縄に戻ってきたアレンさんの平和のメッセージに強く共感、十年来東京の自宅を提供して関東方面の講演に同行して来ました。
 憂愁のハーモニカを追って、ギターに乗ったアレンさんのアメージンググレ-スの深い声が参列者を包み、アネッタさんの涙の謝辞で幕となりました。

追記
1 当世話人会の呼びかけに応えて短期間に寄せられた募金その他、<アレン支援>のご協力に心から御礼申し上げます。アレンさんの想い、そしてアレンさんへの思いの広がりを改めて感じています。
2 世話人会を通じてアネッタさんのもとへ届けられた募金総額は84,243ドル(8,134,790円)です。「いただいたお金は医療費、葬儀費用支払いに足りる充分な額であり日本のみなさまに心からお礼を申し上げます」というアネッタさんの言葉をお伝えします。
 今もネットワークの元に届けられている基金の残余の部分(300万円超)については「アレンの遺志に沿った形で活用してください」との未亡人の思いをいかしたいと思います。
3 遺骨は生前のアレンさんの希望に基づいて日本に埋葬されることになりました。6月25日(木)来日のアネッタさんを迎えて、<偲ぶ会>を兼ねる<アレン納骨の儀式>を石川県加賀市の光闡坊(コウセンボウ=佐野氏住寺)で行います。
4 当世話人会はその日(6/25)をもって解散の予定です。

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写真は、主催させてもらったネルソンさんの講演会で、ココペリさんと一緒に演奏するネルソンさんです。
また、闘病資金への寄付のご協力、これまでのネルソンさんとの交流を2009年1月の記事にてご紹介いたしております。

2009/03/25

 

「花と爆弾」5周年☆ありがとう

2004年3月25日。「花と爆弾-もう、戦争の暴力はやめようよ」が刊行されました。あの日までは、2001年の同時多発テロから、アフガン空爆、世界中で起こるテロ、そしてイラク戦争と、ますます暴力的になる世界で為すすべもなくただただ怒りと悲しみを短歌に込め、所属している「海市」という短歌会の同人誌に発表を続ける日々でした。

そんな思いを形にして多くの人に知ってもらえる機会を与えてくれた「海市」の先生方や歌人仲間たち。そして励ましてくれた友人、家族。その支えがなければ、私には「花と爆弾」を上梓する気力はなかったでしょう。

そして、発行と同時にたくさんの方々がこの小さな詩歌集を購入して、「アフガン、イラクの子どもたちのために何かしたい」という私の思いを共有してくださいました。多くのアーティストが「アートを通して平和の祈りを広めたい」という私の願いに協力してくださいました。多くの方々に支えられての5年でした。

初版の「花と爆弾」はもうすぐ完売になります。「花と爆弾」の販売と収益寄付を活動の柱にしてきた5年でしたが、子どもたちが戦争に巻き込まれない世界が1日でも早く訪れるために、これからはどのような活動を私に続けていけるのか、模索しながらの5周年となっていますが、これからも小さくてもできることを続けて行きたいと思っています。
5年間ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いいたします。

☆ 現在展開中の私なりの平和活動
メールマガジン「7世代に思いをはせて」
未来の子どもたちに平和な美しい地球を残すために、日々のニュースをネイティブ・アメリカンや偉人たちの素敵な言葉と供に紹介しています。
バックナンバーをご覧ください。

報告会の参加とブログでの内容紹介
テレビや新聞ではわからないイラクやアフガニスタンの状況も、現地に赴くジャーナリストの方々の報告会では知ることができます。また、マスメディアと違って、こちらから質問もできます。できるだけそのような報告会に参加して、このブログで紹介していきます。3月の報告は下の記事にまとめましたので、ご覧ください。

☆ 今後のイベント予定
2009年9月に「花と爆弾」挿絵原画展を伊丹のクロスロード・カフェで1ヶ月間開催する予定です。
講師をお招きして、アフガニスタンについてや私たちにできることをお話してもらう企画もあります。詳しくはブログやHPでお知らせしますね。
 
2、3月はこんな報告会に行ってきました

2月20日 日本国際ボランティアセンター(JVC)によるパレスチナ報告会
 「花と爆弾」ではJVCの「イラク支援」にずっと寄付を続けさせてもらっているのですが、今回パレスチナ部門の報告会が大阪であると聞き、参加してきました。2008年末から年明けまでのイスラエル軍による空爆で電気もままならない中での、現地職員のパレスチナ人女性からのビデオメッセージも紹介されましたが、JVCが続けている子どもたちへのビスケットとミルクの支援と、それを支える日本へ深い感謝の言葉を述べていらっしゃいました。
 またJVCの広報担当の女性が、「花と爆弾」の活動のことを覚えてくださっていて、私と会えたことにとても喜んでくださいました。「花と爆弾」を支えてくださる皆様を代表して、私もJVCさんの現地での変わらぬ努力に感謝の気持ちを伝えました。

3月2日 パレスチナ・ガザ この現実
~幾千万の物語り ―映像と言葉で知る―  
2004年にパレスチナ人のシャハダ監督が制作された「レインボー」の上映会と、ガザに詳しい清末愛砂さんのお話。
 2008年の年末から繰り広げられたイスラエル軍によるパレスチナ空爆の記憶も生々しいですが、規模は違っても同じ様な戦闘が繰り返され、無実の人々、子どもたちが命を失い、また希望を失っていくという現実を「レインボー」は淡々と伝えてくれました。同じ地球上に住む人間として胸が詰まる思いでした。
 講師の清末さんとは何回かイラク報告会でお会いしたことがあったので、後で個人的にお話もさせてもらいました。私はイスラエルについてあまり知らないので、人々の暮らしや平和への考え方など質問させてもらいました。やはりアメリカ人と同じように自分たちの戦争は「正義の戦争」だという認識を持たされているような気がしました。

3月3日 日本ペンクラブ主催「平和の日の集い」in 神戸
 立松和平さんや俵万智さんなど、著名な文筆家がそろっての平和にまつわるリレー・トークでした。開催地が神戸ということもあって、95年の震災時の思い出を語る方も多かったです。ただ、気になったのは「私は戦争を知らない。平和ぼけしている。」と年輩の作家の男性が何度もおっしゃったこと。彼は焼け跡の東京で育っているし、親や兄弟は大丈夫だったとしても、多くの身近な人を戦争で亡くされたと思うのだけど。。。そして、現在もあの空襲のような理不尽な状況で命を落としている子どもたちの存在を、ニュースなどを通して知っているはずなのに。。。
 もしかしたら、「平和ぼけ」と言う事によって、戦争を語るという決して楽しいことではないことを避け、思い出したくないつらい出来事を封印されているのかもしれません。

3月7日 宝塚でNGO紹介展とバザー 
「花と爆弾」で支援させてもらっている「宝塚・アフガニスタン友好協会」も出展されていたので行ってきました。代表の西垣さんから、いろいろと最新アフガニスタン情報を教えてもらい、また回りで出展されていたいろんな国を支援しているNGOのブースで、素敵なエスニックグッズをたくさん買いました。
購入したのは、イラン製サフラン、アフガニスタンのクルミ、バングラディッシュの刺繍入りポーチにタイの紙でできたカードと、インドネシアの籐のハンドバッグ。支援もできておしゃれもできるという、バザーは本当におすすめのイベントですよ。

3月20日 プラン・ジャパン ネパール現地職員による報告会
 個人的にプラン・ジャパンという国際NGOのスポンサーになっています。多くの国で子どもの支援と地域開発を手がけるプランでは、毎年現地職員を招き、現地の様子をスポンサーに報告してくれるのですが、今年はネパールについてでした。
 ネパールの貧しい村から、ブローカーを通してインドの歓楽街の売春宿に売られていく幼い少女や、そこから救出された後のリハビリセンターについてのビデオが流されましたが、自分が人身売買される少女だったらと思うと、本当に体が凍りつきます。あんな幼い子どもを使ってでも、金儲けをしたい人たちがいること事態が信じられない現実です。

3月21日 イラク取材帰国報告会
 フリージャーナリスト西谷文和さんhttp://www.nowiraq.com/の「最新映像で見る イラク取材帰国報告会」に行ってきました。頻繁にイラクで取材&支援活動をされている西谷さんの報告会には、できるだけ行くようにしているのですが、今回はいつもよりたくさんの方が参加されていて、嬉しく思いました。イラク戦争開始より6年目の春。まだたくさんの人が関心を持ち続けてくれているんですね
 3月17日にイラクから戻って来られたばっかりの西谷さんのお話。 かなり治安も回復してきたようですが、興味深かったのは、イラクのテレビです。
 昨年末、ブッシュに靴を投げつけたジャーナリストさんがいましたが、彼は3年の禁固刑になってしまったんですよね。でも、イラク市民は彼のことをとても支援していて、その気持ちを表すために、テレビ画面の右上には、常時彼の顔写真と、「禁固○日目」っていうのが放送されているんですって。彼を応援する気持ちには、シーア派もスンニ派もなくて、みんながイラク人として、彼の釈放を願っているとも。そういう姿を見ていると、米軍撤退の後には、イラクが分裂せずに、以前みたいにひとつのイラクとなって国の再建に皆で取り組めるんじゃないかと、西谷さんは希望を感じていらっしゃるようでした。
私もそう願います。

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