2019/12/24

 

2019年のクリスマスイブ・中村哲医師に捧ぐ・・・

誰のためでもなく自分のために綴る私にとっての中村先生と「緑の大地計画」


緑の大地と中村先生
(写真は西日本新聞より)
12月4日、中村哲医師の訃報が届きました。いつものように水路の建設現場に向かう途中で、銃撃によって最期を迎えられたとことは、ほんとうに残念です。ただ、中村先生はどこかで覚悟されていたのではないかと、そして護衛のアフガン人スタッフの方々も巻き添えにしてしまったことを、中村先生は天国で謝られているのではないかと、想像してしまいます。

こんな勝手な想像をしてしまうことを、中村先生のご遺族、親しい方々には心苦しく思いますが、中村先生のアフガニスタンでの事業を、微力ながらも20年近く支援させてもらってきた者として、わたしなりに綴っておきたいことがあって、ブログに残すことにしました。

初めて中村先生のことを知ったのは、おそらく2000年でしょう。アフガニスタンが大干ばつに襲われていることをテレビ番組か何かで偶然知って、ユニセフに寄付をしたのが、私とアフガニスタンの最初の関わりでした。それからしばらくして、アフガンで井戸を掘る活動をされている医師がいることを知ったのだと思います。そして、2001年のアフガン空爆。ペシャワールからアフガニスタンに陸路で支援物資を届けるために中村先生らペシャワール会が動いていることを知り、私も寄付をしました。
「瀕死の小国に大国が束になって・・・」
生きるだけに必死な干ばつの国に住む人々を襲う空爆。。。ほんとうに地獄のような世界で、中村先生の行動を支援せずにはいられませんでした。


そして、対テロ戦争の戦場がイラクへと移っていった2003年、中村先生の「緑の大地計画」が始まりました。この計画を最初に聞いた時は、私もまさか実現するとは思っていませんでした。それでも、現地の水路建設で作業するアフガンの人たちに、日当が支払われると聞いて、アフガニスタンとイラクの子どもたちのために私が始めた小さなチャリティプロジェクト「花と爆弾ーもう、戦争の暴力はやめようよ」を通して、寄付を始めました。「たとえ水路建設がうまくいかなくても、日当が払われれば、多くの人が難民になったり、傭兵になったりしなくて暮らせる」と思ったからです。ところが、私の予想は、有り難いことにまったく大外れで、2004年には最初の2キロの水路が完成し、その後、水路はどんどんと延びていき、あの荒れ果てた土地が次々と緑の大地へと変わっていきました。
緑の大地となったアフガンの荒野
写真はペシャワール会より

それでも、私の懸念はまだ続きました。オバマ大統領になって2008年以降、またアフガニスタンが対テロ戦争の戦場となり、いつこの水路も「誤爆」されるかわからないと思ったからです。そして、命に関わるからこそ貴重な水。いつの時代も争いの元になる水の流れを変えるという作業のため、周辺の村々からの妨害はないだろうかと私の心配は尽きませんでした。しかしそれもただの私の杞憂で、中村先生は周辺の村の取水口の修理なども手がけ、またモスクやマラドサという孤児でも学べるイスラム神学校を建設し、アフガニスタンの人々の伝統、文化、暮らしを第一に考えた事業を続けられました。そして、中村先生の念願だった、この水路建設をモデルとする事業がアフガン全土で展開されるという政府による計画も誕生し、とうとう2019年にはアフガニスタンの名誉市民になられるほど、アフガニスタンの人々に親しまれ、敬われたのでした。

私の杞憂をことごとく覆し、緑の大地を広げられた中村先生の行動ひとつひとつに、言葉ひとつひとつに、私は救われてきました。私の小さな小さな支援も、あの緑の大地の一部になっているということに。


ただひとつ私の杞憂が当たってしまったのは、中村先生がこのような最期を迎えられたこと。そして、今私が懸念していることは、中村先生という中心を失っての今後の緑の大地計画の行方。。。水利と緑の大地・・・これがあの地域に新たなる争いの種とならないか?これまでは中村先生という希有の存在があって、皆のエゴや欲は抑えられ、紛争は起こらなかったけれども、今後は・・・。

ペシャワール会から届いた
中村先生の訃報を知らせる手紙と会報

中村先生の遺骨の一部が、緑の大地と変わったガンベリ砂漠を見下ろす高台、中村先生が好きだった場所に埋められると聞きました。
また、ペシャワール会から「中村先生の遺志ではなく、意志として事業を続けていく」との会報も先日届きました。

私も相変わらず懸念を抱きながら、寄付を続けていきます。中村先生の生き様を間近で見ていたアフガニスタンの人々、ひとりひとりが中村先生となって、アフガニスタン全土を緑の大地にしていく・・・「まさかそんなこと無理でしょう」とついつい思ってしまう私ですが、また10年ほどたって振り返ってみれば、「アフガニスタン各地に農村が復活!」と、中村先生の手がけた事業が各地で達成されていて、「やっぱり私の杞憂でした」とブログに書く日がくることでしょう。


今日はクリスマスイブ。クリスチャンであった中村先生の天国での最初の聖夜です。
困っている人に全身全霊で手を差し伸べられ、命を落とされた中村先生の生き様は、まるでイエス様のようでした。

中村先生、ありがとうございました。あなたに巡り会い、あなたを少しでも支援させてもらえたことに心から感謝しています。


2019年12月24日
小橋かおる
花と爆弾-もう、戦争の暴力はやめようよ

中村先生が日本からの寄付金をもとに
アフガンの人々と建設した
命をはぐくむ水路
写真はペシャワール会より


追記:
今後のアフガニスタンの水路事業の継続に関してなど、ペシャワール会のサイトをご覧ください。
http://www.peshawar-pms.com/

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