2010/02/24

 
カタログ掲載

「花と爆弾」が、福岡を中心に西日本で活動されているグリーンコープさんの通販カタログ3月号に掲載されました。会員様だけに送られるカタログですが、ここに掲載されている書籍は、すべて図書選定委員会で推薦されたものだそうです。選んでいただいて掲載してくださったことを、とても光栄に思います。

「花と爆弾」を上梓してから来月で6年になります。戦争が続く世界で何かせずにはいられない気持ちに駆られて、わけもわからず自費出版した小著でしたが、たいへんありがたいことに、昨年夏には初版はほぼ完売となりました。そして、今後どうするか?増刷するべきかどうか悩んでいました。「もう、5年も前に作った本だし、本がなくなったとしても、ライブやトーク会で寄付を集めさせてもらおうかな」とも考えていました。

そんな時、グリーンコープさんからご連絡があり、今回のカタログ掲載の打診をいただきました。本当に絶妙のタイミングでのお話に、「やっぱりこの活動はずっと続けていかなくてはならないものなんだな」と、妙に納得しました。小さな活動ながらも、それでも意味があるのだと、これからもこの本を通してアフガニスタンやイラクの子どもたちのためのチャリティ活動を続けようと心に決め、増刷し、そして今回のカタログへの掲載をお願いしました。

後で知ることになりましたが、グリーンコープさんの図書選定委員のおひとりが、「花と爆弾」の福岡在住の読者さんでした。メールのやりとりはさせてもらっていますが、まだ一度もお会いしたことのない読者さんでした。そんな方が、図書選定委員会で一生懸命「花と爆弾」を推薦してくださったのです。

「暴力の連鎖を希望の連鎖に変えるために、あなたの力を分けてください」と訴え始めてから6年。ほんとうにたくさんの方が力を分けてくださいました。私がこの小さな活動を続けてこられたのは、力を分けてくださったおひとりおひとりのおかげでしかありません。そして、今回の福岡の読者さんのお力で掲載していただいたカタログを通して、また新たな希望の連鎖が広がっていくことを心から願っています。

ひとりひとりは微力でも無力ではありません。
皆で力をあわせれば、戦争は止められるし、アフガニスタンとイラクにも子どもたちの笑い声があふれる日が必ず来ます。
暴力の連鎖を希望の連鎖に変えるために、あなたの力を分けてください

2010/02/18

 
アレン・ネルソンさんの遺志

先日、当ブログでもご紹介いたしましたように、「花はどこへいった」を観ました。
ベトナム戦争時に撒かれた枯葉剤が残したであろう悲劇。何かできることはないのかと思っていたところ、アレン・ネルソンさんにその思いが通じたようでした。

昨年、同じく枯葉剤の影響と思われる癌で他界されたベトナム帰還兵のアレン・ネルソンさん。彼の闘病を助けようと全国から集まった寄付金をアレンネルソン基金とし、ベトナムの子どもたちのための奨学金として運用されることを、呼びかけ人の平塚さんからお知らせいただきました。


以下、呼びかけ人、平塚淳次郎さんからのメールより一部転載させていただきます。

===   ===   ===
アレンさんのご縁の皆様へ <アレン基金報告>     
平塚淳次郎(100212)

ご無沙汰をお詫びいたします。AN基金にご協力いただいた皆様にはおかわりなくご活躍のことと拝察申し上げます。

AN救援基金世話人代表名でお届けした<アレン納骨式><偲ぶ会>報告(09年7月7日付け)を、私は次のように締めくくっていました。――「アレン基金」残余分を「ベトナム枯葉剤被害者への救援に充てる」課題をあとに残しました。その「執行及び報告」を以って世話人会の解散とさせていただきます・・・。  その課題の実務を担当していただいた関東の大畑豊氏からは折々の進行が入っていて、メール通信に強い人は先刻ご承知のことと思いますが、今回最新情報をまとめて、メール友に転送すると共に、他の人々には要約してFAXなどでお伝えいたします。アレンへ向けられた浄財の一部がこのような形で生かされることに至ったのを心から感謝いたします。
===   ===


ネルソンさんの愛が、基金となってベトナムの子どもたちに注がれることを、心からうれしく思います。

アレン基金を報告するベトナム青葉奨学会様のブログ

闘病中のネルソンさんへの寄付を呼びかけた時の当ブログの記事

2010/02/06

 
花はどこへいった

今日はベトナムの枯葉剤の影響を追ったドキュメンタリー映画「花はどこへいった」を見てきました。

「雨に何をしたの?」というフォークソングから始まる映画は、人生のパートナーを枯葉剤の影響と思われる癌で亡くした日本人女性の悲しみと疑問にあふれていました。

まだ彼女が出会う前のグレッグが、アメリカの中流家庭から送り込まれたベトナムという戦場。
現地で「蚊の駆除のため」と聞かされていた枯葉剤。
その枯葉剤の危険性を除隊後に知ったグレッグは、子どもも作ることなく、54才で癌で逝った。

枯葉剤は、グレッグの命を奪っただけでなく、ベトナム各地でその影響を残し続けている。
枯葉剤がまかれていた当時、1960年代後半に生まれた子どもたちが成長して結婚して子どもを持つようになった今、多くの障害児が誕生していることを、映画は教えてくれる。

あまりにもひどい障害のためか、観客の中には途中で席を立つ人もいたが、そんな子どもたちを家族はあたたかく世話をし、「笑うとかわいいのよ」と障害なく生まれてきた5才ほど年上の姉である女の子が微笑んでいた。

また、足が不自由な青年と耳の聞こえない女性が恋に落ち結婚した。生まれた子どもに障害はなかった。親となった二人の若者の笑顔がこの上なく幸せそうで、私はその笑顔に涙がこぼれそうになった。

この涙をなんと説明すればいいのだろう。アフガンの子どもたち、ベトナムの子どもたち、いわゆる発展途上国と言われる国々に住む人々に、その生き様をとおして、人間とはどんなに困難な状況でも前を向いて生きることができるという命の崇高さを見せられての感動からと言えばいいのだろうか。言葉にしてしまうとあまりにも陳腐だが、困難の中の彼らの笑顔はたとえようもなくやさしく美しい。

映画の中で、ベトナム帰還兵で現在はベトナムの障害児の支援をしているアメリカ人男性が語っていた。「枯葉剤がまかれたところと、まかれていないところがベトナムにはある。そこの障害児の発生を比べれば枯葉剤の影響かどうかは科学的に証明できるはず。ただ、アメリカ(政府)は補償をしたくないから、そんな調査は行われないけど。」

60年代の枯葉剤の影響も調べず、21世紀になっても今度は劣化ウラン弾などでアフガニスタンやイラクを汚染し続けているアメリカ。このような国に国土を基地として提供し、アメリカ国債を買い続けて支援をする日本。自分たちの安全のためと言い聞かせながら、いつまで罪も無い子どもたち犠牲にし、また地球を汚染する手助けを私たちは続けるのだろうか。

遅すぎたのかもしれないけれど、私たちにできる別の道を考える時が来ていると思う。

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