2013/11/28

 

今夏に聞いた講演会・・・「ヴァイマル憲法からナチスの時代へ」

特定秘密保護法案が衆院で強行採決されて、この夏に聞いた講演会を思い出しました。

8月31日、尼崎市立中央公民館で開催された、池田浩士京都大学名誉教授を講師に向かえての「ヴァイマル憲法からナチスの時代へ~遠い外国の遥かな昔から 私たちの「いま」を考える~」

ヴァイマル憲法とは、1919年にドイツで交付・施行された憲法ですが、その人権、自由を尊ぶ基本理念で、当時は最も民主的な憲法とみなされていたものでした。そこからどのようにナチスの時代がやってきたのか・・・ファシズム研究を続けてこられた池田氏のお話を少しご紹介したいと思います。




驚くべきことに、ナチスは「民意によって第一党」になりました。当時のドイツは完全比例代表制で、6万票に1議席という選挙制度だったそうです。1932年の国会選挙により、37.4%を得票し、第一党になったナチ党(投票率は84%)、1933年の選挙では43.9%の得票で(投票率は88.7%)ヒトラー内閣成立、そして「全権委任法」を強行採決し、事実上ヴァィマル憲法は停止。その後、国際連盟脱退、オーストリア併合などの重要事項に対し「国民投票」を行い、いずれも95%以上の圧倒的支持(投票率は95%以上)で、ナチスの政策を進めていきました。



そして、もっと驚くことに、当時のドイツ国民はユダヤ人の大虐殺を知っていた・・・でも反対も抵抗もしなかった。それは、当時のドイツは第一次世界大戦敗戦で天文学的賠償を背負わされており、多くのドイツ人はこの敗戦は、ユダヤ人が多く参加していた労働者革命、共産主義が原因だと思っていたから、そして1932年の段階で44%にも達していた完全失業率は、ユダヤ人がドイツ人の職を奪っているからと信じ、「ドイツ人としての誇り」を取り戻し、そして失業を解消するというヒトラーに夢を託したからだと池田氏はおっしゃいました。


1932年の選挙でのナチのキャッチフレーズは「ドイツ人に労働を奪い返す」だったそうです。その後、ヒトラーは本当に失業をなくし、1938年には完全失業率は1.9%にまで下がっていました。そして1939年のポーランド侵攻、第二次世界大戦勃発となります。


当時を生きていたドイツ人の中には、戦後になってもこう言う人が少なくないと池田氏は付け加えました「ナチスも戦争さえしなければ、良い政権だったのに。」


あのような大虐殺の事実を知ってもなお、あの時代をなつかしむ人々が多いということは、にわかには信じられないことですが、池田氏の「人間にはファシズムに熱狂する、そんな側面があることを知っておく必要がある」との言葉は重く響きました。


しかし、ヒトラーは最初から、ドイツを建て直した後、再び戦争をするつもりだったということが資料などからわかってきているそうです。経済政策も、失業対策も、すべては戦争のできる国への準備にすぎなかった。。。





「日本を取り戻す」というキャッチフレーズで政権を握り、めくらましのような経済政策で国民に夢を見させ、一方で日本国憲法の定める国民の権利を大きく侵害する法案を強行採決し、近隣諸国とのあつれきを激化させる・・・これがすべて戦争への下準備だったら・・・ドイツの轍は踏みたくない・・・、感慨深く思い返す夏の講演会です。





注:ドイツの失業率、ナチ党の得票率、投票率は、当日配布された池田氏のレジュメから紹介させていただきました。










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