2006/10/27

 
メイティニーさんの図書館が完成☆

タイ出身、日本在住20年の御近所さんメイティニーさんが、タイの子どもたちの為に図書館を建設されました!「花と爆弾」でも、第1回のピースライブで、図書館に贈る本を募ったり、また「花と爆弾」の取り扱い店であった板宿の「三ツ輪ブックス」さんが、出版社に働きかけてたくさんの新品同様の本を揃えてくださったりと、皆でできるだけの支援をさせてもらった図書館です。

建設費は、メイティニーさんが子どもたちに英会話を教えて得たお金をコツコツ貯めたお金ですべて賄われました。メイティニーさんにお会いするたびに、設計図を見せてくれたり、建設予定地の写真を見せてくれていたので、私も完成の日を待ち遠しく思っておりましたが、9月上旬にようやく完成し、村の人たちもやってきて、盛大な開館式となったようです。

その図書館に飾られた『花と爆弾』。メイティニーさんは、これだけはなくしてはいけないと思い、他の本と一緒に船便で送ることはせず、自分のカバンに入れて持っていき、図書館に飾ってくれたそうです。

タイの子どもたちにも、希望の連鎖が広がっていきますように☆


最後になりましたが、メイティニーさんの図書館に絵本を寄贈してくださった出版社のご紹介をさせていただきます。出版社との架け橋になってくださったブックス三ツ輪さん、本当にありがとうございました! 皆様のご協力で目標の1000冊が達成されたことを、メイティニーさんと共に、とても感謝いたしております。
偕成社(東京都) 佼成出版社(東京都) 草思社(埼玉県) 瑞雲舎(東京都)
プラザ(大阪府) 文化出版局(埼玉県) マーケット・アクター(大阪府)

☆メイティニーさんのお地蔵さん
これからも図書館の維持費などにいろいろとお金が必要ですが、それを賄うためにメイティニーさんはハギレでお地蔵さんを作っています。ひとつ作るのに2時間ぐらいかかるそうですが、ひとつ500円で販売されています。神戸波止場町TEN×TENの「平和ミュージアム・Mayurii」でも販売していますので、またご覧ください。とってもカワイイですよ♪

2006/10/20

 

10月21日は国際反戦デー

そんな21日の土曜日に、ぴったりのイベントがあります!!

ナオユキ STAND UP COMIC LIVE
10月21日〔土〕PM7:30~
チャージ 2000円ワンドリンク付
at クロスロードカフェ in 伊丹


どうしてぴったりかって言うと、花爆ピースライブに来てくれた方はご存じと思いますが、ナオユキさんは、「地球のすみずみに憲法の花を」という素晴らしい漫談をお持ちの芸人さん。

そして、今日から11月13日まで、花爆イチオシ・イラストレーターの武市りえさんの個展がクロスロードで開催されます!

花と女性の素晴らしいイラストで飾られたカフェで、ナオユキさんの漫談ライブって、反戦デーにぴったりでしょう♪

お近くの方は是非!


武市りえ個展
花と女性のイラストレーション展
10月18日〔水〕~11月13日〔月〕
兵庫県伊丹市クロスロードカフェ

2006/10/10

 
嬉しいこと

9月末に『花と爆弾』の収益を送らせていただいて、各NGOからお礼の言葉が続々と届いています。JVCからは、アンマンで活動中の佐藤真紀氏からメールが届き、また本日はペシャワール会からお礼のハガキが届きました。一番にお礼のメールを下さった宝塚・アフガニスタン友好協会の西垣敬子さんは、今日からアフガニスタンに渡られ、女子寮建設の地鎮祭のような儀式に参加されるそうです。こんな嬉しいお知らせができるのも、現地で頑張るNGOの皆さんと、そして『花と爆弾』にご協力いただける皆さんのお陰です。本当に感謝しています。

哀しいこと

昨日、北朝鮮が核実験を行ったようですね。核兵器で他国を恫喝して、一体何を得ようというのでしょう?あまりのことに言葉もありません。アルンダティ・ロイさんというインドの女性作家がいらっしゃいます。彼女の著書を以前読んだとき、このような状況にまさか自分も巻き込まれるとは夢にも思っていませんでした。私の今の気持ちも代弁してくれている文章なので、ここにご紹介します。

***  ***   ***   ***   ***
 1998年にインドとパキスタンが核実験を行ったときのこと。
外交官の家族や旅行者がインド亜大陸から姿を消す。その代わりデリーに、大挙して押しかける西側ジャーナリストの群。わたしのところにも電話がたくさんありました。「なんでデリーを出ていかないの?」「核戦争がほんとうに起こるんじゃない?デリーは最初のターゲットじゃなくて?」
 核兵器がある限り、核戦争もほんとうに起こり得る。それにデリーは最初の標的。ま、そうね。
 でも、どこに行けばいいの?どこか外に出ていって、もうひとつ別の人生を買うなんてことができるの、この人生がうまくいってないからといって?
 もしわたしがどこかへ逃げたとして、すべての物、あらゆる人---友だち、樹木、家々、犬、リス、鳥、私の知っている、愛してきたものすべて---が焼かれて灰になってしまったら、どうやって生きていけばいい?誰を愛すればいいの?そして誰がわたしを愛してくれるだろう?どんな社会が私を迎え入れ、わたしがここで、自分の家でそうであるように、文句ばかり言う暴れ者でいることを許してくれる、というのだろうか?
 だから、わたしはどこにも行かない。いっしょに身を寄せて、お互いの愛を感じているしかない。そしてわたしたちは考える、いま死ぬとしたら、なんて悔しいか、って。

 一触即発の危機に生きているのは、国境にいる100万の兵士たちだけではない。わたしたちみんながそう。核爆弾とはそういうもの。使われようが使われまいが、核爆弾はあらゆる人間的なものを犯してしまう。それは人生の意味そのものを変えてしまうのだ。
 なぜわたしたちはそんなものに耐えているのだろう?どうしてわたしたちは、核兵器を使って人類全体を脅迫している男たちを、許しているの?
アルンダティ・ロイ著「戦争のお話:核爆弾で楽しむ夏の家族ゲーム」より抜粋。

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