2019/03/18

 

小さな灯でも・・・

東日本大震災と福島第一原発事故からまる8年となる3月。微力ながらできることを一生懸命にさせてもらいました。facebookの投稿をまとめる形で報告させていただきます。
                  
武藤類子さん講演会

3月3日
今日は武藤類子さん(福島県三春町在住・東電刑事訴訟告訴団団長)の講演会でした。私は主催で司会担当だったのですが、実は突然決まった講演会だったので広報の時間もあまりなくて、ちょっと心配していたのですが、たくさんの方が来てくださって、とても充実した会になりました。

武藤さんは福島第一原発事故の東電刑事訴訟告訴団団長として、これまでの刑事訴訟の裁判でのやりとりをお話しくださいましたが、呆れるのは、被告となった東電の元会長らの「無責任さ」。勝俣会長に至っては、「原発の安全性の責任は一義的には現場にある」と言って責任のがれ。それなら会長などネコにしてもらったほうがよっぽどマシと、つぶやいてしまいました。

また、福島原発事故はヒトゴトではないというのが私たちさよなら原発神戸アクションの思いですが、今日は会場に若狭湾の原発を止めるために献身的に活動をしてくださっている中嶌哲演さんが来てくださっていたので、スピーチをお願いしました。
「武藤さんが説明してくれた東電幹部の住民をバカにした態度は、そのまま関電の幹部にも当てはまる。」とお話しくださって、まさしくヒトゴトではなく、私たちの問題だということを語ってくださいました。

会場には、原賠訴訟関西訴訟の原告の皆さんもお越し下さっていたのでお話しいただきました。福島から避難した方たち、また福島に残って闘っていらっしゃる武藤さんたち、どちらもかわらず被曝しない権利があるとの認識を改めて共有できたことは素晴らしいことだと思います。

被曝しない権利・・・これは若狭湾に多くの原発を抱える関西の私たち、また8000ベクレル/kg未満の放射性物質をばらまこうとする政府を持つ私たち日本国民全員に関わる問題だと思います。

とても複雑な刑事訴訟、そしてつらい福島の現状を語ってくださった武藤さん、また会場にお越し下さった皆さまに、心から感謝いたします。


3月11日
311神戸からの祈り@神戸マルイ前。
毎年キャンドルを灯して、東日本大震災で犠牲になられた方々への追悼と、今なお苦しんでいらっしゃる方々を思う祈りの場。今年も司会をさせていただき、最後に「このキャンドルの灯が消えた後は、私たちひとりひとりが小さな灯となって、皆が支え合って、幸せに生きられる社会にするために動きましょう。」とキャンドルの火を消しました。

ヤマトーさんの歌と美穂さんの手話歌や望月さんの詩の朗読、原発避難者の方たちの賠償訴訟を応援するポカポカサポートチームのお話も。また上園さんたち若者グループが福島の若者たちとのスカイプをセッティングしてくれて、たまたまマルイ前に遊びに来ていた高校生の女の子に、「福島とスカイプが繫がっているから、質問してみて」と声をかけると、マイクを持って「311の時は受験シーズンだったと思いますが、たいへんでしたか?」と若者しか思いつかない質問をしてくれて、新鮮でした。

京都訴訟事務局の田辺弁護士

3月13日
今日は原発賠償京都訴訟の控訴審@大阪高裁を傍聴に行きました。今日は2回目の期日で、国と東電が津波の予見可能性を否定しているので、「予見できたでしょ!」ということを弁護士さんが裁判官に説明されていました。国が行った平成14年の地震の長期評価で福島沖でM8クラスの地震が起きることは予測されていたのに、まだ彼らは「わからなかった~~」ってどこの裁判でも繰り返している。往生際が悪いです。

午後から報告集会へ。ここでは京都訴訟の事務局を担当されている田辺弁護士が「どれほど正しいことを言っても、傍聴席が支援者であふれていないと、裁判官は国や大企業の顔色をうかがって、原告に冷たい判決を書くことがよくある。だから、皆さんの支援がとても大切です。」とおっしゃったのが印象に残りました。今回も傍聴席は満員で、報告集会も満員でした。

京都訴訟の次の期日(裁判)は6月13日(木)14:30~。私も傍聴に行く予定です。

ところで、3月8日は原賠訴訟ひょうごの膨張にも行きました。次回の原賠訴訟ひょうご@神戸地裁の期日は5月16日(木)14:00~です。こちらも傍聴に行く予定にしています。
皆さまも、ご都合よろしければ、ぜひご参加ください。


マルイ前でのアピール
3月15日
350回目の関電神戸支店前脱原発アピール行動に参加してきました。しっかり、環境省の進める8000ベクレル/kg未満の放射性汚染土の拡散政策の危険性を訴えてきました。そして、それがなぜそれほど危険なのか。。。それは、その汚染土の中に、水に溶けないセシウム(セシウム・ボール)が含まれていることが考えられ、それを吸い込むといつまでも肺にとどまって、猛烈な放射線を発してDNAを傷つけ、癌化させるから・・・とこのあたりは6月2日に内部被ばくの最新の研究を追跡されている郷地秀夫医師の講演会に来て、話を聞いてくださいと、広報いたしました。

チラシはまだできていませんが、6月2日午後に神戸で開催!☆ここまでわかった内部ひばく~セシウム・ボールのゆくえ~ またまた私が司会予定です。ぜひ、スケジュールを空けておいてください。

追記:
日々の出来事をfacebookの投稿していますので、よろしければ、こちらもご覧下さい。
  ↓
小橋かおるfacebook・https://www.facebook.com/kaoru.kohashi

小さな灯でも活動を続けます。


2019/01/06

 

放射性汚染土・廃棄物を拡散しないために


2019年の幕開けです。今年は春に統一地方選挙、夏に参議院選挙が予定されているので、ひとりでも多く私たちの暮らしを守るために働いてくれる議員を誕生させたいと思っています。そして、その議員たちと一緒に力を尽くしたいと私が願っているのは、放射性汚染土・廃棄物の拡散防止です。

これまでも拙メールマガジン「7世代に思いをはせて」や当ブログでも時々触れてきた8000ベクレル/kg以下の放射性汚染土の再利用問題(本来ならば100ベクレル/kg以上のものは低レベル放射性物質として厳重保管)ですが、お正月休みに毎日新聞記者の日野行介著『除染と国家 21世紀最悪の公共事業』を読み、いろいろと考えることがあったので、一度私なりに考えをまとめてみることにしました。(放射性汚染土再利用計画の詳細は後記リンク一覧をご覧下さい。)


放射性汚染土が詰められた
フレコンバッグの山
飯舘村(2017年1月)友人のE氏撮影
再利用は必要か?

福島県内の除染に伴い発生した土壌や廃棄物等は、2200万立方メートル(東京ドーム14杯分)と推計されており、環境省の計画では、東京電力福島第一原子力発電所を取り囲む形で大熊町・双葉町に整備する中間貯蔵施設で、最終処分までの間、安全に集中的に貯蔵することになっています。

ところが、その運搬に膨大なトラックが必要で目処がたたないとか、中間貯蔵施設のための十分な土地が確保できずにいるとのことで、少しでも容量を減らそうとして、8000ベクレル/kg以下の汚染土を公共事業や農地造成に再利用しようという計画が持ち上がり、現在、環境省は汚染土の上に汚染されていない土をかぶせるなどして放射線量を計測するというような「実証実験」を実施しています。

しかし、ほんとうにこの2200万立方メートル(東京ドーム14杯分)は、管理不可能な容量でしょうか?

たとえ公共事業に使ったとしても、環境省の推計では、例えば5000ベクレルが100ベクレルまで減衰するのには170年がかかるそうです。そして、土木建造物の耐用年数が70年とされていますので、その状態で保持しようと思うと70年ごとに土木工事をしなくてはなりません。

それならば、日本のいたるところで汚染土を公共事業に再利用し、70年ごとに2度、3度と土木工事をするよりも、中間貯蔵施設を70年に一度建て替える計画で一括管理した方が、よほど効率的ではないでしょうか?


2200万立方メートルの土とは?

この2200万立方メートルの土とはどのぐらいの量かを把握するためにちょっと調べてみましたら、あの辺野古米軍基地の建設に必要な埋め立て用土砂が2100万立方メートルで、ほぼ同じ量でした。あれだけの土砂を沖縄県内だけでなく瀬戸内海の島々からも運び込むことを考えると、福島県内での同等量の土砂の移動がそれほど不可能なこととは思えません。

また、辺野古の米軍基地の面積は160haです。環境省が予定している中間貯蔵施設の総面積は1600ha。辺野古の160haの10倍です。1600haの内330haが公有地ということですから、そこに汚染土を貯蔵する建造物を造ることは可能ではないでしょうか?ちなみに2200万立方メートルは東京ドーム14杯分ですから、東京ドームを14個造るとすると(東京ドームの敷地面積4.7ha×14)65.8haです。


集中管理の可能性

そしてその貯蔵用建造物を330haの敷地内で70年ごとに建て替えるのです。何を悠長なことをと思われるかもしれませんが、20年ごとに立て替える伊勢神宮にならって、70年ごとに貯蔵用建造物を建て替える法律を作ったらどうでしょうか?20年ごとの遷宮を1300年間行ってきた日本ならば、まったく可能なことではないでしょうか?


福島県内だけではなく、関東一円で保管されている放射性汚染土。現在は、各自治体が保管しているようですが、これも8000ベクレル/kg以下ならば普通ゴミとして処分できるようになっています。しかし、それに従って処分した自治体はほとんどないようです。各自治体も覚悟を決めて、一括集中で厳重保管の方針を採った方が、住民も安心して暮らせるのではないでしょうか?

経済的に可能か?という問いもあるでしょうが、土木工事に再利用した場合でも70年ごとの被曝防御をしながらの土木工事には膨大な予算が必要でしょうし、また新型の高速増殖炉などにかける予算よりももっと有意義な税金の使い方だと思います(本来、東京電力に請求するべきですが)。


放射能汚染防止法の必要性

8000ベクレル/kgはれっきとした放射性廃棄物です(繰り返しますが、今でも原発敷地内では100ベクレル/kg以上は低レベル放射性廃棄物として厳重管理です)。それを一般ゴミだと「ごまかして」焼却したり、全国の公共事業で再利用などして拡散してはなりません。

2012年に放射性物質適用除外規定の環境基本法13条が削除され、放射性物質も他の有害物質と同様に法律上公害原因物質に位置づけられました。公害と認定されたからには、これまで「希釈すればいくらでも排出可」という状態ではなく、総量規制が可能です。まだそのベクレル量、放射線量の規制値が決まっておらず、すなわち罰則も決まっていませんが、法整備をしていくことが必要ですし、また県や市の条例で決めていくことも可能です。

国レベルで、法律を整備すること、また福島県の中間貯蔵施設の基本的な計画の見直しを追求していくことと同時に、自分たちの住む自治体で、「放射性物質は公害で、受け入れられない」という条例をつくっていくこと・・・日本の未来を守るために、私はひとりの国民としてしっかりと取り組んでいきたいと思っています。



* 参考サイト一覧 *
『除染と国家』を読もう!と思わせてくれたインタビュー記事。「ウソ」で日本中被ばくさせられるのはまっぴらと思い、しっかり読んで、いろいろ自分なりに考えさせてもらいました。
      ↓
■「原発は正しい」というフィクションを守るために官僚はウソをつく
『除染と国家』著者・日野行介インタビュー【後編】社会
週刊プレNEWS 2018年12月15日
https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2018/12/15/107764/


-放射能汚染防止法について包括的な資料です。-
■山本行雄弁護士講演資料
集会「放射能汚染防止法」制定に向けて
2017年3月27日@参議院第二議員会館
http://www.foejapan.org/energy/fukushima/pdf/170327_1.pdf


-環境省のサイトより-
1■中間貯蔵施設の概要
http://josen.env.go.jp/chukanchozou/about/

2「中間貯蔵開始後30年以内の県外での最終処分に向けて、再生資材化した除去土壌の安全な利用を段階的に進めるため」の解説資料
■「除去土壌再生利用実証事業について・資料3」
http://josen.env.go.jp/chukanchozou/facility/effort/investigative_commission/pdf/proceedings_180329_03.pdf


-辺野古米軍基地に関して-
■辺野古新基地建設事業に関するファクトシート
http://www.foejapan.org/aid/henoko/pdf/background.pdf

■沖縄辺野古移設の埋め立て用土砂の調達候補地とされる鹿児島県奄美大島で「岩ズリ」搬出がはじまる 8 bit news 2016/01/30
http://8bitnews.org/?p=7224


-放射性汚染土の拡散問題について-
拙ブログ、メルマガよりふたつ
1■Words for Peace:
東京電力福島第一原発事故より6年後 ~被ばくの強要~
http://flowersandbombs.blogspot.com/2017/03/

2■「7世代に思いをはせて」
【第504号】大切なことは・・・
http://archives.mag2.com/0000273399/20180609100000000.html

この問題がとてもわかりやすくまとめられている記事↓
■環境省「原発の汚染土、行き場がないからもう農地の造成にも再利用しちゃえ!」
BUZZAP 2018年6月4日
https://buzzap.jp/news/20180604-nuke-waste-recyle-agriculture/


-放射性廃棄物についての環境省の考え方-
■放射能濃度が8,000Bq/kg 以下の廃棄物の処理について 環境省
http://shiteihaiki.env.go.jp/initiatives_other/conference/pdf/conference_09_04.pdf
「放射能濃度が8,000Bq/kg以下の廃棄物について、独自に設定した一定濃度以上の廃棄物又は特定一般廃棄物若しくは特定産業廃棄物を区域内に搬入することを制限したり、廃棄物処理業者に対して取扱いの禁止を指導するようなことは、科学的・法的にも根拠のないものである。」同サイト5ページより抜粋


-日本的な保管方法を思いつかせてくれた伊勢神宮のサイト-
■式年遷宮の歴史
http://www.isejingu.or.jp/sengu/senguhistory.html


追記(2019年3月18日)
福島県外の特に関東、東北の皆さま、汚染土のゆくえに厳重注意です。 →「環境省は、福島県外の除染土の埋立処分をすすめるため、放射性物質の濃度によって上限を設けることなく、埋立処分できるとした環境省令およびガイドラインの記載案を発表しました。」
詳細は

■福島県外の除染土埋立処分で環境省令案~濃度制限なし、地下水汚染防止策なし FoEJapan

 https://foejapan.wordpress.com/2019/03/18/0318/





2018/12/28

 

核に縛られる日本、そしてアメリカ ~マンハッタン・プロジェクトからフクシマ、トモダチ作戦まで~


                                                   
2018年12月9日、私も共同世話人を務める「さよなら原発神戸アクション」主催で、講師に田井中雅人さん(朝日新聞記者)をお迎えし、「核に縛られる日本、そしてアメリカ~マンハッタン・プロジェクトからフクシマ、トモダチ作戦まで~」が開催されました。

寒い日にもかかわらず、多くの方がご参加くださり、核のこれまでとこれからについて、しっかりと考えさせられる会になったと思います。簡単ではありますが、私が大切だと思った点を中心にまとめさせてもらいます。


「歴史は勝者によってつくられる」
 原爆を開発し、実際に都市を原爆で破壊した米国は、戦争の勝者。勝者にとって都合の良い「歴史」が流布するのは自明でしょう。そのような勝者にとって心地良い言説とは・・・
1 原爆は100万人の米兵の命を救った
2 原爆は戦争を終わらせた
3 広島の被爆者は米国に謝罪を求めていない

1と2は戦後米国でずっと語られてきた物語ですが、3はオバマ大統領の広島訪問によって追加された物語です。

では、「勝者が語らない事実」とは?

1 原爆のきのこ雲の下で起きたこと
2 原爆ではなく、ソ連参戦が戦争を終わらせたこと
3 被爆者すべてが謝罪を求めていないわけではないこと
(あの訪問で「広島はオバマ大統領の引退の貸座敷」だったと元広島市長の平岡さん)


しかし、原爆について「勝者」が語らないのは、「敵国」の日本に対するものだけではありません。アメリカ国内でも多くの被ばく者が存在しますが、それは語られてきませんでした。
ハンフォード
米国ワシントン州のハンフォードでは、長崎原爆7000発分のプルトニウムを製造した工場があり、周囲を放射能でひどく汚染し、地域住民を被ばくさせた。しかし、その被ばく量は「問題ない」とされ、その放射性廃棄物もずさんな管理しかされていないなか、地域は国立公園とされた。これを「緑の隠蔽」と呼ぶ人もいる。

トモダチ作戦
2011年3月の福島第一原発事故当時、太平洋上の近海に展開していた空母ロナルド・レーガン号の乗組員たちは、「トモダチ作戦」という東北被災地支援に従事し、結果的に被ばくさせられ、すでに死者もでている。しかし、その被ばく量は米軍・政府により「問題ないレベル」とされている。


「勝者の歴史」を覆されないために「勝者」が行っていること

核産業の広報戦略4段階
1 自然化 (放射能は日頃から周囲にあるもので、怖くない)

2 対抗研究 (被ばくが危険であるという研究が出てきたら、「御用学者」に対抗する研究をさせて発表する)

3 自己責任 (体調が悪いのは被ばくではなく、酒やタバコなどの生活習慣のせいだと被ばく者の責任にする)

4 結論引き延ばし (被ばくの影響が明らかになってきたら、国が「調査します」とし、その調査が終わるまでは「被ばくの影響はわからない」として結論を引き延ばしにする)


そして、これまで「これぐらいの被ばくでは問題ない」と「被ばくの黄金律」のように使われてきたのが、広島・長崎の被爆者たちを対象にした調査結果。「あなたは広島や長崎で爆風にされされた人たちより被ばくしたはずがない、だから大丈夫」という言説です。

しかし、その調査自体が米軍により軍事機密として行われたもの・・・「勝者がつくる歴史」の一部でしょう。詳しくは、『放射線被曝の歴史』(中川保雄著)をご覧ください。


さて、このように「敵国」だけでなく、自国民や兵士たちも被ばくさせ、「問題ない」と繰り返し「勝者」が進める核事業。これは核兵器が巨大な富と雇用を生み出す「無限機構」であるからです。

核産業の「広報戦略4段階」が世界中に使用されていることを目の当たりにするとき、日本や米国の被ばく者、市民だけでこの核の呪縛から逃れることは難しいと思われます。

しかし、その呪縛を解くひとつの大きな転機がやってきました。
それは、核兵器禁止条約です。核兵器が「悪」として使用が不可能になってしまえば、原発産業も衰退するでしょう。


世界が連帯して、核兵器、原子力発電にNO!を突きつけること・・・それを可能にしてくれるのが「核兵器禁止条約」です。


以上、講演の内容をざっとご紹介しましたが、詳しくは田井中雅人さんのご著書『核に縛られる日本』『漂流するトモダチ』をご覧ください。
                                                         


講演会の後は、活発な質疑応答、そして関西に避難されてきている原発賠償訴訟の原告、サポーターからのアピールもありました。

原発事故はひとごとではありません。神戸から90キロしか離れていない若狭湾の高浜原発は再稼働されています。もしも事故があれば北風に乗れば2時間で放射性物質が神戸にもやってきます。今、政府は「年間20ミリシーベルトまでの被ばくなら問題ない」と福島第一原発事故で汚染された地域にも住民を帰還させようとしていますが、もしもこれを許してしまうと、若狭湾の原発、もしくは神戸よりも西で稼働する伊方原発、川内原発、玄海原発で事故が起きた時に、同じように私たちにも被ばくを強要するでしょう。

核産業の広報戦略をしっかり見定め、私たちは私たちの命と暮らしを守るために行動しなくてはと、しっかりと認識させてもらった講演会でした。
講演内容をまとめた最後のスライド


追記:上記でご紹介した『放射線被曝の歴史』(中川保雄著)と『核に縛られる日本』(田井中雅人著)を読ませてもらって書いた当ブログの記事がありますので、リンクさせていただきます。

ブログ:Words for Peace
・2012/02/06『放射線被曝の歴史』
http://flowersandbombs.blogspot.com/2012/02/
・『放射線被曝の歴史』を読んで:ICRPの精神とは?
http://flowersandbombs.blogspot.jp/2012_03_01_archive.html
・繰り返される過小評価:放射線被曝の危険性~広島・長崎~チェルノブイリ~福島
http://flowersandbombs.blogspot.jp/2012_07_01_archive.html

『核に縛られる日本』関連記事 
・彼らにとって心地よい物語
・8月5日に思うこと
https://flowersandbombs.blogspot.com/2018/08/





2018/09/11

 

9月11日に・・・

今日は9月11日です。2001年9月11日のアメリカのいわゆる同時多発テロ事件と、10月8日のアフガニスタン空爆から続く対テロ戦争がなければ、私がこのようにブログをつづり、何かを発信するということはなかったと思います。

「花と爆弾」を読む
アフガニスタンの少年
それまではただの海外ニュースオタクな大学英語教員で、とっても狭い研究分野に没頭していれば、ある意味満足していたわけですが、何の罪もないアフガニスタンの子どもたちが戦争によって、手足を失い、家族を失い、命を失っていく・・・それも、対テロ戦争という世界中の喝采の中・・・それに耐えきれなくなって、微力ながら、2004年3月に「花と爆弾」というチャリティ・バイリンガル詩画集を世に問うたことから、人生が大きく変わりました。

「無駄なことを・・・」と言われることもありました。確かに、今もなおアフガニスタンの治安は悪く、援助もままならない状態となっています。「無駄なこと」なのでしょうが、おかしなことはおかしいと行動したことは、私にとってはほんとうに貴重なことだったと実感しています。

実を言うと、この活動を始めるまで、私は人間不信で、世の中は損得で動く人ばかりだと思っていました。でも、詩画集を出したとたん、見ず知らずの多くの人が共感してくれて、一緒に動いてくれました。世の中には損得ではなく、他人のため、平和のため、愛で動く人がこんなにたくさんいるんだということを、私に教えてくれました。

あの日から17年。哀しい別れもたくさんありましたが、かけがえのない出会いもたくさんありました。この出会いは、アフガニスタン、イラク、シリア・・・戦争で散っていったあの子どもたちが、私に授けてくれたものだと思っています。

私の夢は、「平和になったアフガニスタンを一観光客として旅行すること」
その日が訪れることをこの17年間ずっと切望し続けています。



写真は、「英語の教科書に」とアフガニスタンの孤児院に「花と爆弾」を配ってくれた、宝塚・アフガニスタン友好協会の西垣敬子さんが2004年に撮ってくれた一枚と、西垣さんのお気に入りのアフガニスタンの少女の写真です。

宝塚・アフガニスタン友好協会のサイトを飾っていた写真

「花と爆弾-もう、戦争の暴力はやめようよ-



2018/08/15

 

彼らに心地よい物語

8月15日は「終戦の日」ということになっています。1945年の8月15日から73年となる今日、原爆と戦争の終結について考えてみたいと思います。

いわゆる太平洋戦争の終結は、「広島、長崎への2発の原爆がもたらした」との見方が日米双方によって語られてきた感がありますが、どうなのでしょう?
あの8月を迎える以前に、日本全国の大空襲で首都東京はもちろんのこと、200以上の地方都市が壊滅・・・このような状態の国に、原爆など必要だったのか?との声も近年挙がっていますが、「原爆が戦争終結を早めた」との考えは、まだまだ支配的でしょう。
それはなぜなのか?アメリカの核問題研究者のウォード・ウィルソン氏の説明を、田井中雅人著『核に縛られる日本』より引用します。*1


「原爆は日米双方に心地よい物語だった。考えとは、それが事実であれば持続する。また、残念ながら、それが真実でなくても、心地よいものであれば持続する。」

 ウィルソン氏は、当時の天皇周辺の立場に立って考えている。国を悲惨な戦争に導き、経済は破綻。都市の8割は米軍の戦略爆撃で焼かれた。日本軍は非難され、次々と敗北を喫した。食糧不足に陥りつつある。戦争は大惨事であり、さらに悪いことには、事態がどれほど悪いかについて国民に嘘をついてきた。降伏の知らせに国民はショックを受けるだろう。大失敗を認めるのか。それとも、誰もが予測しなかった敵の素晴らしい科学的成果による損害を非難するのか。敗戦を原爆のせいにして、すべての失敗や判断の誤りを隠してしまえば、責任の負担や軍人への追求も不要だ。(pp.106-107)


米国においては、8月9日のソ連の参戦ではなく2発の原爆が戦争を終わらせたことにしてこそ、国民にも秘密の内に20億ドルを費やしたマンハッタン計画が無駄ではなかったと主張できる、という日米双方にとっての心地よい物語。

また、同書の中で、政治学者の白井聡著『永続敗戦論』の次のような言葉が引用されています。

「核攻撃は、戦況の加速度的悪化を背景に押しとどめがたい革新の動きが天皇制国家の支配層を包囲しつつあることが明白になってくるなかで、国体が逆転勝利を収めうる契機としてとらえられたのである。その意味で、日米の共犯関係を基礎とする戦後の国体は、広島・長崎においてすでに起動していた。」(同書:p.108)


日米支配層にとって、原爆戦争終結神話はお互いの保身のために役立った。それは特に、国土を焦土と化したという惨状の責任を負わされるはずだった軍部、そして革新勢力を恐れていた天皇、財界にとって、奇跡的好都合だったのかもしれません。


本来なら国民に非難され、失敗の責任をとるはずの支配者たちが、戦後アメリカの庇護のもと、相変わらず日本を支配していることは、今も残る天皇制のみならず、戦争責任者たちの孫やひ孫が権力を握る政界、戦前と変わらぬ財閥が軍需産業を握り支配する財界を見れば明らかでしょう。


日本中を焼夷弾で焼き尽くし、実験としか思えない核爆弾投下により一瞬にして何十万人という国民を殺した米国と、保身のためにあっさりと手を組んで、今も日本を支配する権力者たち。彼らが忠誠を誓うのは、日本国民か米国か?


彼らにとっての「心地よい物語」を私たちが受け入れている限り、私たちは焼夷弾で逃げまどい、核の熱線によって焼かれた人々と同じ立場にいるのではないでしょうか?
それは「日米安保」という神話のもとアメリカの戦争に巻き込まれることかもしれないし、「原子力は安全です」という神話によって、「これぐらいの被ばくは大丈夫です」と放射線が飛び交う国土に住まわされることかもしれません。*2


焼夷弾で焼かれること、放射線をばらまかれて被ばくすること・・・そして、誰も責任はとらない・・・。今と戦中とどんな違いがあるのでしょう?


「物語に長けたものが世界を制する」とホピ族の格言にあります。
私たちは「彼らの物語」ではなく、キノコ雲の下の、焼夷弾の火の海の、そして放射線に晒される私たちひとりひとりの物語を根気強く紡いでいかなくてはならないと思います。
「彼らにとって心地よい物語」に殺されないために。



*1 『核に縛られる日本』田井中雅人著 角川新書 2017年刊

*2 当ブログ:Words for Peace 8月5日思うこと
http://flowersandbombs.blogspot.com/2018/08/



追記:
先日、東京大空襲に関する記者座談会の記事を読みました。そこでは、あの大空襲で焼かれなかった所が考察されていました。
あの大空襲で下町が焼かれて一晩にして10万人が殺されたことは知っていましたが、どこが焼かれなかったか?とは考えたことがなかったと思い、ちょっと調べてみました。記事に書いてあったとおり、皇居や丸の内は焼かれておらず、東京の地理はあまり詳しくないのですが、旧日本軍の施設のあたりも焼かれなかったようです。

「ハーグ陸戦条約・第25条:防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない。」は、軍事施設以外の住宅などへの攻撃は禁止していますが、下町は焼いて、軍の施設はターゲットから外していたとなると・・・その裏にどんな思惑が米軍にあったのか?

その理由を下記の座談会は探っていますが、私はまだそれが当たっているのかどうなのかは判断しかねています。
  ↓
■記者座談会 語れなかった東京大空襲の真実-首都圏制圧のための大虐殺 130回で25万人殺傷
長周新聞2015年10月2日
https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/1134

実際どこが焼かれなかったのかは、こちらの資料が参考になると思います。
 ↓
「戦争証言アーカイブス」古地図で見る東京大空襲
https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/special/tokyodaikushu/

夏の庭



2018/08/05

 

8月5日に思うこと

明日、8月6日は広島原爆の日。73年前の1945年、人類史上初めて核爆弾が戦争で使用され、人々が暮らす街が焼き尽くされ、放射能で汚染された日です。今、私は73年前の8月5日を生きている気がしています。その理由は・・・。

原爆と日本人
原爆投下より1年前の1944年9月。
「原子爆弾が完成したら日本人に使用する」と、米国大統領のルーズベルトと、英国首相のチャーチルが極秘に会談し、合意文書を交わしていたことを、田井中雅人朝日新聞記者の著書『核に縛られる日本』で知りました。*1

この当時は、まだナチス・ドイツ軍と連合国軍の戦いは続いていましたが、「原爆投下は日本」と決められていたことになります。1945年の8月5日を生きていた当時の日本人は何も知る術もなく、新兵器の実験対象にされていたのです。

敗戦国となった日本を占領した連合国の中心である米軍は、実験検証を続けます。
広島原爆投下直後からヒバクシャの治療に当たってこられた肥田舜太郎医師が講演会でこのようなことをおっしゃっていました。

「戦後、マッカーサーが日本にやってきて、いろいろと日本人に『してはならないことを』ずらずらと発表した。彼らは賢いからそんなことを書面になんて残さない、口頭で発表するだけです。その中で私が一番許せないのは『原爆によってもたらされたものはすべて米軍の機密であるから、一切公表してはならない。医師は治療をしても良いが、それを他の医師と話し合ったり、論文に発表したり、研究してはならない』というものです。あの頃からしっかり研究ができていれば・・・と悔やまれてなりません。」*2

米原爆傷害調査委員会(ABCC)が治療を原則行わず、研究対象として被爆者を扱ったことはすでに知られていますが*3、極東という他の連合国の目が行き届かない日本を占領下におき、原子爆弾という新兵器の威力やその放射能の影響に関する研究を続ける・・・・米軍にとっては理想的な環境だったことでしょう。


原発事故と日本人
さて、敗戦から73年。日本は今でも米国にとって、または米国が(を?)主導する原子力産業にとって、理想的な国なのではないかと思います。福島第一原発事故という人類史上最悪とも言える原発事故が起き、広範な国土が放射能汚染されたにもかかわらず、何事もなかったかのように空間線量で年間20ミリシーベルト以下の被ばくならば「問題ない」と人々を住まわせ、8000ベクレル/kg以下の放射性汚染土や廃棄物も「問題ない」と公共事業や牧草にすき込む形で再利用して、全国にばらまくという政策をとる国。放射性廃棄物の最終処理を厳重保管ではなく「ばらまき」という形で処理できる国です。*4

ご存じのとおり、一般人の被ばく限度は年間1ミリシーベルトであり、また原発敷地内では、100ベクレル/kg以上の廃棄物は、低レベル放射性廃棄物として厳重管理されています。現在、進められている環境省の除去土壌再生利用実証事業は、放射性物質は拡散せず厳重保管という原則から大きく逸脱し、環境汚染以外の何ものでもありません。


核のゴミと日本人
どうしてこのようなことが、国民に広く知らされないままに進んでいくのか?私は今、1945年8月5日の日本人と同じ境遇にいるような気がしてなりません。
もしかして、この国は、核のゴミ捨て場として決められているのではないか?今後世界中の原発が廃炉を迎える中、8000ベクレル/kg以下に希釈してしまえば、一般ゴミとして捨てられる日本。既に、仏ヴェオリアのアントワーヌ・フレロ最高経営責任者(CEO)は日本経済新聞記者に、放射線量が低いごみの処理事業を日本で始める計画を明らかにしています。*5


原発事故で汚染されてしまった極東の島国を、世界の核のゴミ捨て場にしてしまおう。。。現在のルーズベルトとチャーチルが極秘に合意していても不思議ではない気がします。
基本的人権を尊ぶ憲法を蹂躙する政権を許し、国会が侮辱され、司法も官僚も人事で操作され、ジャーナリズムが危機に瀕しているこの国は、安易なナショナリズムを煽って、「日本を守る」と為政者に言わせておけば、核のゴミ場にでもなんにでもできると、彼らは思っているのかもしれません。


2018年8月5日。これが杞憂に終わることを願っています。



*注一覧

*1 『核に縛られる日本』田井中雅人著 角川新書 2017年刊

*2 肥田舜太郎医師のお話
ブログ:Words for Peace 2011年8月29日
http://flowersandbombs.blogspot.com/2011/08/

*3 被爆者に謝罪へ ABCC時代、治療せず研究
毎日新聞2017年6月17日
https://mainichi.jp/articles/20170617/k00/00e/040/305000c

*4
■南三陸町「汚染牧草」8月下旬すき込み開始〈宮城〉
仙台放送2018/07/30(月)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180730-00010001-oxv-l04
「すき込み試験を行うのは町内に保管された汚染牧草のうち、1キロあたり400ベクレル以下の放射性物質を含む牧草約2トンです」
このような実証実験が行われている根拠が環境省の政策にあります。
      ↓
「中間貯蔵開始後30年以内の県外での最終処分に向けて、
再生資材化した除去土壌の安全な利用を段階的に進めるため・・・」
・「除去土壌再生利用実証事業について・資料3」より抜粋
http://josen.env.go.jp/chukanchozou/facility/effort/investigative_commission/pdf/proceedings_180329_03.pdf

また、8000/kg以下の放射性廃棄物を一般ゴミとして処分する方針をしめす環境省のサイト「よくある質問」もリンクします。
http://shiteihaiki.env.go.jp/faq/


*5 仏ヴェオリア、日本で低レベル放射性廃棄物処理
日経新聞 2016/4/16
https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM15H7E_V10C16A4MM8000/



追記:暗澹たる未来を想像させる記事になってしまいましたが、この未来を変えることができるのは、日本に住む私たちです。諦めず、これ以上放射能で国土を汚染されない政策を求めて、行動していきましょう。


2018/07/31

 

原発事故被害者の方たちとのつながり

5月から7月にかけて、原発事故による被害者の方たちと強くつながる機会をたくさん頂きました。facebookへの投稿記事をまとめる形で、当ブログに掲載いたします。


福島・浪江町の
今野寿美雄さん
5月23日の福島・浪江町の今野寿美雄さんのお話し会には、平日の夜にもかかわらず、たくさんの方が参加してくれて、とても多彩で賑やかな会になりました。


お話しの内容はほんとうに深刻。最初にお話しして下さった福島の帰還困難区域から兵庫県に避難されている菅野みずえさんは写真を提示しながら、福島の様子を紹介してくださいましたが、180年前に建てられた由緒正しいご自宅が放射能に汚染され、泥棒に荒らされ、除染しても汚染はなくならず・・・自分の家がなすすべもなく朽ち果てていく、それも原発事故のせいで・・・いたたまれません。

今野寿美雄さんのお話しでは、今野さんが震災以前は原発作業員だったので、原発内で低レベル放射性廃棄物になる基準である100ベクレル/kgが、今や食べ物の基準に使われているのはおかしい。また、菅野さんが原発事故後にスクリーニングでカウントされた1万cpm(後ほど10万cpmであったことが判明)という値は、原発敷地内から出してはいけない基準値180cpmからは考えられないほどの被ばくを受けたということなど、原発事故後に日本の環境にまき散らされた放射性物質がどれほど桁違いというか、事故前では考えられないほど酷いものだということを、改めて認識しました。

また、福島第一原発で鉄塔に亀裂があって排気筒が心配というような記事を1,2年前だったかに読んだ覚えがありましたが、その排気筒というのは、事故時のベントのせいで200シーベルト(ミリシーベルトじゃないですよ。即死決定の値です!)もの汚染で、鉄塔の修理も出来ない状況。この排気筒が、もしも海側に倒れたら、2号機の使用済み燃料プールを破壊し、大惨事となる可能性が・・・。

原発事故から7年が経って、ほとんと報道されなくなった福島第一原発ですが、私たちはまだ、原子力緊急事態宣言発令中の国にいることを肝に銘じなければなりません。

もちろん、若狭湾で稼働中の原発が事故を起こせば、菅野さんや今野さんが経験されたこと以上の深刻な事態が近畿を襲うでしょう。

皆で、再稼働をやめ、原発をやめるため、自治体、国を動かしていかなければと強く思いました。


6月27日。福島県いわき市で子どもを守るための活動を続けるママさんたちの代表、ちばゆみさんの講演会。私は、食料環境セミナーさん主催の午前の講演会と、夜のさよなら原発神戸アクションのメンバーとのゆみさんを囲む会まで、朝の10時30分から夜の11時まで、ご一緒させていただきました。

ほんとうだったら行政が率先して行わなければならない校庭や園庭の空間線量や土壌汚染の計測をママたちで地道に続け、データーを蓄積することで、いわき市の教育委員会に認められたこと。楽しいお茶会を続けることで、ママたちとのつながりをつくり続け、そのつながりをもとに、モニタリングポスト撤去中止の要請をサポートし、いわき市だけでなく、福島県の多くの市町村で展開中のこと。

私も何度か、安定ヨウ素剤の事前配布を求めて兵庫県に要請行動をしたことがあるので、ゆみさんの表にはでない苦労を想像すると、ほんとうに並大抵のことではないと思います。

それを福島県で、「風評被害を助長するな」との声が吹き荒れる中、7年以上も続けてこられた・・・それが、今、福島県のメディアや議会が一緒になってモニタリングポスト撤去中止に動いてくれている。

「子どもたちを守るために」その一点で動き続けてきたゆみさんの思いが、多くの人を動かすことになったのだと、一日ご一緒して、ほんとうに実感しました。
ゆみさん、子どもたちのために、ほんとうにありがとう!

下の写真は、講演会に参加してくれていた福島県から関西に避難されて関西賠償訴訟原告団代表の森松さんとちばゆみさんとのツーショット。立場は違うけれど、子どもたちを被ばくから守るために一生懸命なふたりのママがつながってくれました。被害者が分断されるのではなく、一緒になって、国や県を動かしていく・・・私たちもその輪に加わって、子どもたち、そして私たちの未来を守るために、動き続けたいと、勇気をもらえた場面でした。



7月14日。元町で田井中雅人朝日新聞記者の講演会に参加。田井中さんは、核問題を追っている記者さんで、311の時の米軍のトモダチ作戦に参加したことで被ばくし、健康を害し命を落としていっている米兵たちの裁判のことや、核兵器禁止条約の動きなどにとても詳しい方。
それにメディアの方だから、世の中の流れも見ていらっしゃる。最後に少し個人的にお話しさせてもらったときの田井中さんの言葉がずしんときた。
「来年になると、オリンピックの前年になるから、原発事故の話などしても、「いつまで言ってんだ」という空気になっているかもしれない。」

きっとそうなるのだろう。
どうやって原発と被ばくから暮らしと健康を守り、被害に遭われた方たちのお手伝いをしていくか・・・、そのやり方をじっくり考えなければならないと改めて思う。

写真は、田井中さんの著書と、今日のレジュメです。


7月22日。「原発の町を追われて」上映会&シェアリング。
一番実感したのは、「被ばくしたくない」「自分の健康を守りたい」という「生きもの」として当然の行動が、許されない社会なんだということ。

双葉町民を連れて埼玉に避難した当時の井戸川双葉町長も、そして、水戸から関西に避難されたこられて、昨日会場でその体験を語ってくれたOさんも、「被ばくさせられたくない」が原点だと感じました。

どうしてそれが許されないのか・・・原発・核というビジネスで潤っている人たち、また「経済」という最終的には1%の人たちの利益になるシステムにとって、都合が悪いからでしょう。

被ばくさせられる弱い立場の人たちを、県内では避難困難区域だのなんだの、全国的には「放射能汚染は福島の問題だ」のように線引きをして分断し、諍いの中で疲弊させ、骨抜きにしてしまう彼らのやり方。

それに翻弄されるのではなく、「被ばくしたくない」「このような事態を招いた者に責任をとらせる」その原点に立って、日本全国で皆が自分のこととして一緒になれば、この日本も変えられるのに・・・そう強く感じました。

写真は、避難者さんたちが起こしている原発賠償訴訟をサポートするポカポカサポートチームさんたちと。




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