2011/05/21

 
子どもたちを守るために

先日、「ETV特集/ネットワークで作る放射能汚染地図 福島原発事故から2か月」を見た。3月16日に福島県入りした科学者たちによる放射能汚染実態調査を追ったドキュメンタリーだ。そこには、目を疑うほどにひどい放射能汚染があった。

原発から35km西の田村市常葉中学校。校庭の土壌から515万ベクレル/平方メートルのヨウ素131が検出された。ヨウ素は子どもに影響を与えやすく、甲状腺がんを引き起こす。

屋内退避地域に指定された田村市都路町。土壌から24万ベクレル/平方メートルのセシウム134、137が検出される。これはチェルノブイリの移住ゾーンに匹敵する汚染レベルとのこと。

原発から4kmの二葉町山田では、空間線量300マイクロシーベルト毎時以上を計測。土壌からは1億6600万ベクレル/平方メートルのヨウ素131と、2120万ベクレル/平方メートルのセシウムを検出。セシウムは半減期が30年。チェルノブイリの現在から考えても、痛恨の思いながら、この汚染は途方もない苦難をこの地に残すこととなるだろう。


また、現在、政府から大人子どもを問わず、年間20ミリシーベルトの被曝を許容する方針が出ているが、これは小出裕章氏(京都大学助教)の説明によると 「被曝で発がんの可能性は増える。1mSvは2,500人に1人が癌で死ぬという数字。 20mSvなら125人に1人。こどもは5倍だから25人に1人が癌で死ぬ数字。 20mSvという基準は、それを我慢しろという意味。」


それだけでも、とてつもない危険と犠牲を子どもたちに課すことになるが、政府が判断の基準に用いているICRP(国際放射線防護委員会)は、内部被曝をまったく考慮に入れていないという。矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授によると、一般に今問題になっているシーベルトというものはガンマ線を測っているだけのことで、あまり距離を飛ばないアルファ線やベータ線は測られていない。


しかし、一度体内に入ってしまえば、恐ろしいのはそちらの方で、ガンマ線が長距離を飛ぶ間に出す細胞破壊エネルギーを短距離の中で爆発させる。すなわち体内の一部の細胞のDNAを「ぎしぎしに破壊」し、異状DNAを誕生させるというのだ。その異状なDNAは再生産を繰り返し、癌細胞となることもあれば、子孫に受け継がれることもありうるという。よって、細胞分裂が活発な子どもや胎児は大きく影響を受けることになる。


現在、福島第一原発では、1号機のメルトダウンが確実となり、2号機、3号機も同様の状態が危惧されている。本来ならば圧力容器と格納容器に封じ込められているべき核燃料が外界に出てきているかもしれないし、また今後出てきてしまう可能性は否定できないのだ。


ひとりでも多くの大人が、これらの事実を真摯に受け止め、子どもたちを放射能から守る手立てを尽くしてほしい。福島に子どものいる方は、困難は承知でお願いするのだが、なんとか遠くへ避難させてほしい。親戚が福島にいる方は、心苦しいかもしれないが忠告をしてほしい。戦時には可能だった子どもたちの疎開が、当時よりも豊かな現在に不可能なはずはない。

本来ならば、国が先頭をきって子どもたちを守る手立てをしなければいけないのだが、どうも国も東電も原発災害補償を少しでも減らそうと、被害の規模を小さく見せる策にばかり走っているようだ。国が動くのを待っていると手遅れになる可能性が高い。動ける人から動いてほしい。



参考サイト
■ETV特集/ネットワークで作る放射能汚染地図 福島原発事故から2か月
2011年3月28日(土)教育 午後3時 再放送

■ 「依然として最大の脅威は内部被曝のリスク
矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授


5月27日追記:
福島の親御さんたちの声がやっと文部科学省に届いたようです。「学校内での被曝を年間1mSV以下を目指す」という小さな一歩ですが、校庭の表土の処理、放射線量測定機などに予算をつけるという、具体的な行動計画が示されました。とはいえ、NHKの7時のニュースによると「学校とその他の生活環境で、子どもたちの年間被曝量は9.9mSv」とのことです。子どもたちが癌になる確率は二分の一になったにすぎません(すなわち、50人に1人)。今後も子どもたちのためにできるだけ危険を減らす方法を探していこうと思います。

5月28日追記:
福島の子どもたちを救うために、親御さんたちと一緒に文部科学省で声を上げていた俳優の山本太郎さんが、自らの職を犠牲にして、子どもたちの避難を訴えています。胸がつまるような思いがあふれています。どうぞ、ご覧ください。そして、現実を見つめて、行動してください。
山本太郎「オペレーションコドモタチ

2011/05/18

 

5月7日 脱原発を考えるWalk

晴れ渡る神戸の空の下、福島のことを思い、これからの未来に思いをはせて歩くというイベントThink Fukushima + Walk in Kobeが開催されました。

学生が企画したWALKと聞いていたので、ぜひ応援しよう!と、友人たちを誘っての参加でした。東遊園地から、センター街を通り抜けて、メリケンパークまでのWALK。とっても和やかな雰囲気で、楽しく歩けました。

WALKの途中、学生スタッフに声をかけられていろいろと話していると、中心メンバーは神戸大の国際文化学部の学生とのこと。「そういえば、見覚えのある顔が・・・」と記憶をたどっていくと、メガホンを持って道ゆく人に声をかけているのは、以前担当した学生であることが判明!

「一緒に放射能について考えませんか?」

「一緒にメリケンパークまで歩きましょう」

と街の人々に穏やかに声をかける後姿が、とても頼もしく映りました。



これからのエネルギーを、これからの世界を担う若者が考え、行動する。
潮風とともに、新しい世代の風を感じた、素晴らしいWALKでした。

追記:6月11日(土)にも、東遊園地からのパレードが予定されているそうです。
詳しくは、こちらのチラシをご覧ください。

2011/05/14

 

かまた先生と東北の皆さんへの寄せ書き

「いのちの広場」にお越しいただいた方に、かまたみのる先生と東北への皆さんへの応援メッセージを書いてもらいました。

かまた先生は、チェルノブイリ、イラクと放射能に汚染された地域の子どもたちへの医療活動をずっと続けてこられたお医者様。現在は原発事故の影響も考えられる南相馬市を中心に活動を続けられています。

この緑の布は、大地にひまわりが咲くように皆に元気になってもらいたいとの願いを込めて用意しました。寄せられた心のこもったメッセージとともに、JIM-NETを通して、かまた先生に届けてもらいます。

ほんとうにたくさんの人と出会い、心を通わせることのできたアースデイでした。
みんな、ありがとう。
 

アースデイ@はまでらこうえん(午後のトーク会)

午後3時からは、上関原発建設地で田ノ浦の美しい海を守る活動を続ける虹のカヤック隊のメンバーでもあり、全国各地で講演活動をされている富田貴史さんのトーク会。開始前からたくさんの方が集まってくださいました。

心に残った言葉は、「魔法を解いていこう!」
「原発がなければクーラーが使えない」とか「昔の不便な生活はいや」と思ってしまう人や、「自然エネルギーなんてとるにならない」と頭から否定してしまう人は、「魔法にかかっている」状態だから、解けた人から「魔法を解いていこう」とのこと。

思えば私も、4年前までは、メディアや学者の言葉をただぼんやりと聞いて、すっかり「安全神話」にはまってしまって「原発はそんなに危険じゃないよね~」と「魔法にかかって」いたと思います。その魔法が解けたのは、原発の危険性、特に危険な使用済み核燃料の処理の解決法を誰もわからないということを知ってからでした。私に起きたことは、誰にでも起きるはず。「魔法が解けた」私も、できるだけ出来るだけ正確な情報を、できるだけたくさん発信して、「魔法を解く」お手伝いをしたいと思いました。


また、会場にお越しくださった方の中には、このような原発や自然エネルギーに関するトーク会に初めて参加される方も多く、

「このような会を企画してくれて、ありがとう」
「もっと勉強しなくちゃ、と思いました」

などの声をいただきました。
私も、アースデイにて「いのちの広場」を担当させてもらえたことに、とても感謝しています。

2011/05/12

 

アースデイ@はまでらこうえん(午前のトーク会)

10時の開演を待たずして、来場される方もいらっしゃるほど人気のアースデイ。11時半からのトーク会の頃にはたくさんの方が集まってくださいました。

講演者は、東日本大震災後、石巻から大阪に移住された武藤北斗さん。若い2児のパパさんでもあります。
石巻から避難された理由は、ただただ二人の子供たちを放射能から守りたかったからとのこと。


今になっては、もしかしたら石巻から避難したことは「過剰反応だったかも」と自問することもあるということでしたが、女川原発がすぐ近くにあり、福島も近いということで、やはり必要な判断だったと思うとの発言に、会場にいらしたもう一人の若いパパからも声がありました。
「実は僕らも東京から避難してきているんですよ。子どものことを考えると、過剰なんてことはないよ」


武藤さんは自分がそう感じてしまう理由にマスメディアをあげていました。あまりにも安全を強調し、被災地に残ることを美化する傾向があるのではないか。そのことが人々が身を守る行動に出ることを妨げているのではないか。被災地からの生の声を聞く貴重なトーク会でした。


写真は、トーク会が始まった時の会場の様子。その後たくさんの方が加わり、最後はテントからはみ出しても、皆さん熱心に聴いてくださっていました。



5月8日アースデイ@はまでらこうえん(早朝)



5月の晴天に恵まれた8日朝8時、はまでらこうえん到着。
さっそく写真や作品の展示にとりかかる。

「いのちの広場」に展示させてもらうものは・・・

・広島に投下された原爆の残り火「ヒロシマの平和の灯」点灯
・ジャーナリスト西谷文和氏、ペシャワール会協力によるイラクとアフガンの写真展
・原発建設が予定される美しい瀬戸内海、上関の写真展
・「花と爆弾」短歌からの小阪美鈴氏書作品
・「空」の拙画、2枚


66年前の人類と核エネルギーの悲劇的な出会いの象徴、「平和の灯」。
そして、現在劣化ウラン弾と形を変えて、イラク、アフガンの子どもたちを苦しめる核。
放射能汚染という目に見えない、また影響に気づきにくい形で日本に存在する原発。

未来への願いをこめた拙歌の書
・核弾頭を集めて送ろう木星に春には桃の花が咲くから

光あふれる「空」の世界を私なりに表現したアクリル画。

私たちと核のこれまでと、現在を振り返り、未来を考える場になればと思い設置しました。


また、若者たちによるトーク会用のイスも設置。
冨田貴史氏、武藤北斗氏による「いのちを紡ぐお話し会」。


どんな出会いがあるのか、期待にいっぱいの朝でした。

2011/05/05

 
ビンラディンとジェロニモ

5月2日。2001年9月11日のアメリカでの同時多発テロの首謀者とされていたオサマ・ビンラディンが潜伏先のパキスタンで米軍により殺害されたとの外電を聞いた。米軍は彼に「ジェロニモ」という暗号名をつけていたと聞く。この「対テロ戦争」をつぶさに見続け、アメリカ先住民に心惹かれてきた私にとって、この結末はなんとも形容しがたい不快なものだ。

19世紀を生きたジェロニモは、自らのアパッチ族が先祖代々暮らしてきた、今はアリゾナと呼ばれる土地を守るために戦った戦士だった。アメリカ合衆国政府が推し進める居留地移住政策に最後まで抵抗し、今でも先住民には英雄と称される戦士だ。90年代、アメリカに多文化主義が一時隆盛した時代、先住民の視点からの映画が多く作られたが、その中に「ジェロニモ」という映画があった。若きマット・デイモンが米陸軍士官役を演じる、ジェロニモ最後の戦いを描いた作品だ。90年代、米文化研究の講義を担当していたことから、学生たちと何度もこの映画を見た。

映画は米陸軍准将が、戦闘の後捕虜となったアパッチ族に対して告げるこんなセリフから始まる。

「われわれが求めているのは平和だ。アパッチは速やかに居留地に移住せよ。」


平和を求めての戦争。平和とはアメリカ人にとっての平和でしかない。
アリゾナの砂漠地帯で繰り広げられる、アパッチと米陸軍の不均衡な戦闘。


アリゾナとよく似た砂漠地帯で、まったく同じ思想、構図の戦争が21世紀になっても繰り広げられているのがアフガニスタン戦争だ。2001年当時から、ずっとこの戦争を見てきたが、いつもいつも19世紀のアパッチ掃討戦が二重写しに見えていた。19世紀の『明白なる運命』という人種差別と侵略主義が色濃く残る思想により推し進めれたインディアン戦争を、21世紀になっても見せられたのだ。戦争はいつも悲惨だが、この戦争の不快さは、私にとっては際立っていた。


そして、21世紀の米軍により「ジェロニモ」と名づけられたビンラディンは丸腰のまま殺されたという。19世紀のジェロニモは殺されはしなかった。あの頃の米軍は、まだジェロニモともアパッチとも交渉していた。ジェロニモは数々の戦闘の後、降伏し、服役した。19世紀の米軍は、敵と交渉するという、人間ならではの「言葉」を使うことが、まだできていたようだ。


2001年から10年続くアフガニスタンでの戦闘。米軍の最初の目的であったビンラディン討伐が達成されたわけだが、このためにアフガニスタンで何万人もの罪もない子どもたちや市民が戦闘で殺され、また故郷を追われたことを思うと、言葉もない。


ただ願うことは、「対テロ戦争」の当初の目的が達成されたことによって、米軍がこれ以上無謀な軍事作戦をアフガニスタンやパキスタンで繰り広げないことだ。本来ならば、これを機に撤退し、これまでアフガニスタンに与えた損害への謝罪と賠償を求めたいところだか、この19世紀以下の結末に歓喜する政府と国民には、それを望む気にもならないほど、私はアメリカに失望している。

2011/05/02

 

平和の火

46年前に広島に投下された原爆の残り火が、福岡県の星野村にずっと保存されていたことを知ったのは、
去年の6月ごろだった。

よく行くお店のキャンドルナイトのイベントで使われていた。

とうとつな出会いだった。
私はいったいどんな顔でその火と向き合えばいいのかわからなかった。

一瞬にして10万人もの人々の命を奪った火。。。



その後、その火を保存していた、山本達雄さんのドキュメンタリーを見た。

父親代わりだった叔父さんの命を奪った火。
いつの日か、この火をつかって、アメリカに復讐することを心に誓ってもっていた。

それが昭和40年代になって、この火の存在が公に知られることとなり、
達雄さんの恨みの気持ちとは裏腹に、「平和の火」として祈りの対象となった。


火は燃えさかる怨念でもあり得るが、
その怨念を浄化させるものでもあり得る。

長い年月を通して、
多くの人の祈りを通して、
達雄さんの怨念も、平和への祈りとなった。
戦争を起こしちゃならん!という祈りの火となった。




ひょんなことから知った「平和の火」。
またまたひょんなことから、アースデイの「いのちの広場」で、
私がこの「火」を守ることになった。



初めての出会いから約1年。
こんどはきちんと向き合えると思う。


平和の火さん、なにとぞよろしくお願いします。



アースデイ@はまでらこうえん
「いのちの広場」を担当します♪


日時:2011年5月8日(日)10:00-17:00
場所:大阪府営浜寺公園
入場無料
公式サイト:http://earthday-hamaderako-en.at.webry.info/
「いのちの広場」
・広島に投下された原爆の残り火「ヒロシマの平和の灯」点灯
・ジャーナリスト西谷文和氏、ペシャワール会協力によるアフガンの写真展
・原発建設が予定される美しい瀬戸内海、上関の写真展
・若者たちが語ります。冨田貴史氏ほか「いのちを紡ぐお話し会」
・「花と爆弾」短歌からの小阪美鈴氏書作品
詳しくは、下記拙ブログをご覧ください。 
http://whatsnew-on-flowersandbombs.blogspot.com/2011/04/5.html


写真は「花と爆弾」短歌からの小阪美鈴氏書作品

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